<エグゼクティブサマリー>
- モビリティ業界はサステナビリティなど社会的要請や多様な消費者ニーズに応え、新たな価値創造が必要であり、企業・産業・国を跨いだデータ連携が益々重要。
- 日本では協調領域として、経産省ウラノス・エコシステム、経産省・国交省モビリティDX戦略、経団連のデータ連携・データスペース構築に向けた取り組みなど、産官横断でのモビリティデータ連携基盤構築が進行中。
- ネットワークの齎す変革力がモビリティ業界の価値創造・バリューチェーン拡張に不可欠であり、日本はデータ連携基盤の展開を急ぐ必要がある。
■はじめに
自動車業界におけるデータ連携の取り組みとして、前回は欧州におけるデータエコシステムの拡張を取り上げたが、本稿では日本におけるモビリティデータ連携の取り組みを紹介したい。欧州ではCO2排出量や原材料トレーサビリティーに対する規制・規則に対応し、Catena-XやMobility Date Spaceといった分散型データ連携の構築・運用が先行しているが、日本でもデータ連携基盤の構築が始まっている。
■日本におけるデータ連携
モビリティ業界が百年に一度の変革期だといわれて久しく、CASE(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)という言葉も使い古された感があるが、サステナビリティなどの社会的な要請や多様な消費者のニーズに応えて、新たな価値創造が常に求められている。原材料調達から生産~流通~販売に至るサプライチェーンにおいては、カーボンニュートラル対応やより迅速な品質管理などのため、材料・部品・完成車のトレーサビリティー情報を各メーカーから集約して管理・提供する必要がある。また販売~利用~部品交換・修理~中古販売~廃棄・リサイクルに至るまでのバリューチェーンでは、車両データ・走行データを活用した新たなサービス提供・市場開拓が考えられる。自動車メーカーやIT企業が独自の競争領域としてソフトウェア開発、E/Eアーキテクチュア開発を進める一方、企業を跨いだデータ連携の仕組みや、産業や国境を越えた連携構築は益々重要となっている。日本での協調領域におけるデータ連携に関しては、産官レベルでの取り組みが複数連携しながら進行しており、本稿では4つを紹介する。
- 一つは、経済産業省が主導するウラノス・エコシステムである。これは個別のシステム名称ではなく、データ連携の設計・開発・普及の取り組みを包括的に総称する名称である。具体的には、データ連携の仕組みや社会実装・普及計画等を整理し、下図の通り「商流・金流DX」としてサプライチェーンデータ連携基盤の構築、「人流・物流DX」として4次元時空間情報基盤の整備に取り組んでいる。商流・金流DXのユースケース第一弾として 「自動車・蓄電池トレーサビリティー」のサービス提供を2024年5月に開始しており、蓄電池メーカーや部品メーカー、自動車メーカーが欧州電池規則に対応して、蓄電池に関わるカーボンフットプリントデータ(CFP値)を共有・活用する仕組みが整備されている。ウラノス・エコシステムは現在、更なるユースケースの拡張や海外データプラットフォームとの相互接続を推進している。
(出所: 経済産業省 Ouranos Ecosystem(ウラノス・エコシステム)) - また経済産業省は2014年にモビリティDX検討会を設置し、国土交通省と共に自動運転関連の推進を主に実施しているが、2023年よりSDV(ソフトウェアデファインドビークル)やデータ連携関係に特に注力している。2024年5月に下図の通り「モビリティDX戦略」を策定し、日本が官民連携で取り組むべき主要3領域を「SDV領域」「モビリティサービス領域」「データ利活用領域」と定め、2035年までのロードマップを描いた。「データ利活用領域」における直近の取り組みとしては、蓄電池トレーサビリティーに続き、自動車LCA(ライフサイクルアセスメント)算定の実証に着手しており、2025年度にさらに2つのユースケース拡充を目指している(現状、物流・運行システムの効率化・共通化、有事の状況把握と在庫管理・生産調整が優先候補)。
(出所:経済産業省 モビリティDX戦略・モビリティDX検討会) - 産業界においても、日本経済団体連合会(経団連)が2022年6月 モビリティ委員会を発足し、2023年10月に 「自動車産業7つの課題」 を掲げた。下図の通り、この中の課題⑦が「業界を跨いだデータ連携や部品トレサビの基盤構築」であり、日本自動車工業会(自工会)・日本自動車部品工業会(部工会)などの勉強会メンバー企業にてデータ連携のユースケース拡張を議論・推進している。
(出所:日本自動車工業会 発表資料) - さらに経団連は2024年10月に「産業データスペースの構築に向けて」を発表した。モビリティ業界にとどまらず、あらゆる産業においてデータスペースの構築が重要であるが、国際的に信頼される産業データスペースの前提として、通信相手の本人性やデータの真正性を証明する公的な仕組み(トラスト基盤)の整備が急務であると提言した。整備が道半ばのままでは、日本企業による国境を越えたデータ連携・利活用に支障を来し、日本の産業競争力に深刻な影響を及ぼしかねないとの危機感を表明しており、下図のような国際的に相互運用可能な産業データスペースを構築が必要だと訴え、官民で協議する場で早期実現に取り組むとしている。
(出所:日本経済団体連合会 提言・報告書)
■おわりに
モビリティ業界はサステナビリティ社会の要請や消費者の多様なニーズに応えて、新たな価値創造が必要であり、企業・産業・国を跨いだデータ連携が益々重要となっている。また電動化や自動運転など、モビリティ社会に関連する技術領域も常に拡大しており、自動車メーカー単独での研究開発には限界があるため、他社・他産業も巻き込んだ連携や協調領域におけるネットワークの必要性も高まっている。
ネットワークの齎す変革力は、スコットランド出身の歴史学者ニーアル・ファーガソン氏が著した文明論「スクエア・アンド・タワー」でも明らかである。2019年に発行された日本語訳は上下巻計900ページに渡る大作で、過去に起きた社会変革の歴史を「垂直的な階層組織」と「水平的な人的ネットワーク」という2つの視点で整理している。(題名の「スクエア・アンド・タワー」は水平的な「広場」と垂直的な「塔」を示すもの) 現代の実例として、ニクソン政権・フォード政権下のキッシンジャーの外交的活躍(※1)や、リーマン・ショックの広がりを世界大恐慌となる手前で食い止めた官民のつながり(※2)など、国家の階層的な組織力だけでなく、分散型の水平ネットワークが創造的なパワーを生み出し、それによって時代の変革が加速された歴史が紹介されている。「イノベーションは異なる組織に属する人々のネットワークから生じ、アイデアはネットワーク内の弱いつながりを通して、水平方向に広がる」として、社会的ネットワーク分析として興味深い。
モビリティ業界においても、クルマが単なる移動の手段ではなく、社会や生活の中心的機能として活用が広がる中、ネットワークの生み出す創造性が鍵であり、新たな価値創造・バリューチェーン拡張に不可欠である。日本も産官一致してデータ連携基盤の早期構築に取り組み、アジア(特にASEAN)などの諸外国への展開を急ぐことが望まれている。
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(※1)Niall Ferguson, The Square and the Tower [邦訳:『スクエア・アンド・タワー 権力と革命 500年の興亡史』 柴田裕之訳、東洋経済新報社、2019年] 下巻145-168
ハーバード大学教授であったキッシンジャーは1968年12月、ニクソン政権の国家安全保障担当大統領補佐官に任命された。「当初から政府中枢外のあらゆる方向に水平ネットワークを構築することに労力を注ぎ」、冷戦下のソ連とも非公式な関係を構築。米中関係正常化、ベトナム戦争からの撤退など外交的成果を収めた。ニクソン政権・フォード政権化におけるキッシンジャーの社会的ネットワーク分析グラフが掲載されている。
(※2)同上 下巻 240-249
2008年9月15日に起きたリーマン・ブラザースの破綻は「史上屈指の金融危機を招いたが、リーマンの最高経営責任者ディック・ファルドはウォール街でネットワーク孤立者であった」。「第2の世界大恐慌とならなかった最大の理由は、アメリカ財務省が介入し」大手銀行・保険会社に緊急援助救済措置を発動したこと。大統領顧問であったヴァーノン・ジョーダン・ジュニアや官僚のティモシー・ガイトナーは多くの金融会社の経営幹部と個人的なつながりがあった。