私事で恐縮だが、私の70代後半になる父は、ご多分に漏れず最近視力や視野の衰えを自覚するようになり、車の運転に対する自信がなくなりつつあるそうだ。
私の実家は首都圏郊外の公共交通の便に比較的恵まれたところにあり、車が運転できずとも買い物や通院、家族や友人との会食に即困るということはない。問題は、公共交通でアクセスしにくい場所が目的の場合で、その一つに父の長年の趣味である、ゴルフ練習場がある。
首都圏郊外のゴルフ練習場の多くは、電車の駅から徒歩圏内にはなく、基本的には大きな駐車場を備え、車での来場を前提にしているように思われる。
実家は電車の最寄り駅から徒歩圏内にあり、電車と路線バスを乗り継いで練習場向かうという手がないわけではない。が、まだゴルフがプレーできるとはいえ、足腰の弱りつつある高齢者が重たいゴルフバックを背負って、電車やバスを乗り継ぐ姿は想像がしにくい。年金生活のシニアが、タクシーで片道数千円かけて練習場に通うというのも現実的ではない。
移動距離や移動ルートの多様さと幸福度は比例の関係にあるという説もある。この観点において、身内としては、たかだが単なる趣味の話、と看過するのは忍びなく感じる。
このような移動ニーズに応え得る、自家用車での移動や、電車やバスといった既存公共交通での移動の中間に存在する、これらの隙間を埋めるモビリティとは、この先近い将来にどんなものが存在しうるのだろうか?また、その課題とは何だろうか?
都内では最近、電動キックボードを見かける機会が増えた。その他にも、持ち運びが可能なサイズかつ重量の電動スケートボードなど、マイクロモビリティと呼ばれるような新しいモビリティツールが続々と誕生し、移動の選択肢が多様化していることは大変喜ばしい。
が、今回題材として取り上げているのは、シニアがゴルフバッグを抱えてゴルフ練習場に通うというニーズである。運転技術に自信がなくとも、大きな荷物の持ち運びも可能なモビリティとはどんなものだろうか。
そのようなことを考えているさなか、先日茨城県境町で運行中の自動運転バスに乗車する機会を得た。走行速度は体感では自転車並みなので、最高でも20km/h程度だろうか。街の中をゆっくりと走り、車を運転していると見過ごしそうなものでも目に留めることができる。思わぬところに美味しそうな飲食店や、印象的な外観の建物があったりして、ガイド役が乗車しているわけではないものの、境町を初めて訪れた筆者にとっては、観光地を周遊するバスやテーマパークの乗り物に乗っているのに近いわくわく感を感じることができた。
このような乗り物が様々な地域で普及し、自動運転技術による公共交通担い手の人手不足を解消しつつ、冒頭で述べたようなゴルフバックを抱えたシニアの移動といったような、自家用車や既存の公共交通では満たしにくい移動ニーズを拾い上げる移動サービスになれば、と期待と想像に胸を膨らませた乗車体験であった。
もちろん、まだまだ課題は多い。例えば、交通量が多く、通行車両の平均車速が高い道路での自動運転走行の社会実装に向けては、技術面や制度面、また社会的受容性等、様々な角度からの検討が必要である。また、既存の公共交通機関がカバーしていないエリアで事業として成立させるためには、データを活用した需要と供給のマッチングとオペレーションの効率化が欠かせないだろう。
一方で、上述したような、ゆっくりと周遊することで得られる、思わぬ新しい発見の魅力も捨てがたい。速さOR遅さではなく、速さAND遅さのいいとこ取りを追求できないのだろうか。
国内やグローバル各地で整備が進む新しい街づくりにおいては、従来の自動車・歩行者向けの道に加え、自転車等の通行を念頭に置いた第三の道が整備・計画されている事例が増えている。
車でもなく歩行者でもなく、その中間速度向けの専用レーンで、目的地へ急ぐ必要のない人は、その過程における新しい発見を楽しみつつ移動する、そんな余裕のある移動が可能になるのも、ある種のダイバーシティ、成熟した社会の価値とはいえまいか。
道を作り変え、街の構造を大きく変革するのは、言うまでもなく、一大事業である。しかし、パリやミラノのような歴史のある大都市でも、道路の構造を大幅に見直し、自転車・歩行者の為のスペースや、緑地面積の大幅な増加に向けた新しい街づくりを推進中と聞く。
言わずもがなであるが、事業性が確保できなければ持続可能なサービスとはなりえない。この点においては、利用客のみならず送客先も受益者として連携し課金またはコストを負担してもらうことや、前述したようにデータを活用して、複数の乗客と目的地及び経路をマッチングし、運行ルートを最適化していくことも必要となるが、そのような検討・サービス実証も各地で進みつつある。
人が移動する量及び新規性と、幸福感の間に因果関係があるのであれば、自家用車に頼らずゴルフ練習場に通いたいシニアのニーズに応えられる、自家用車と公共交通の間の隙間を埋めるきめの細かいモビリティや、ゆっくりとした移動で思わぬ新しい発見をもたらすスローなモビリティといった、多様なモビリティの提供は、人々の幸福度を上げていくことの一助となるのではないか。
コロナ禍で人々の移動量と頻度は大きく落ち込んだ。リモートでできることはリモートで済ませることの効用は、筆者自身も痛感し、またその恩恵も被っている。そんな今だからこそ、それでも人々の幸福にとって本当に必要な移動とは何か、その実現のための課題は何か、そのような議論がより一層必要となるだろう。