AYAの徒然草(88)  『あなたの原動力はなんですか?』

仕事で成果を出すことにも自分を輝かせることにもアクティブなワーキングウーマンのオンとオフの切り替え方や日ごろ感じていることなど素直に綴って行きます。また、コンサルティング会社や総合商社での秘書業務やアシスタント業務を経て身に付けたマナー、職場での円滑なコミュニケーション方法等もお話していくコーナーです。

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第 88 回 『あなたの原動力はなんですか?』

「なんとなくやる気が起きない」とか、「なんかわかんないけどなんでもおっくうになっちゃう」というような気分になることってありませんか?たとえば、やりたくない仕事が目の前にあったり、ものすごくプレッシャーがかかっている仕事があったりすると、思わず現実から目をそらしたくなる、なんていうことはないでしょうか?

正直な話、このコラムも、毎度スムーズに書き終えているわけではありません。こういう内容を書こう!とか、今回はこれで行くぞ!と頭の中で漠然と構想が練れていても、いざ机に向かうとぱたっと手が止まってしまう、なんてことはしょっちゅうです。理由はわかりませんが、なんとなく気分が乗らないから、としか説明ができません。こういう話を男性の友達にしたら、こんなふうに言われてしまいました。
「彩ちゃんは自分のために働いているからそういう気分になってもなかなか抜け出せないんだよ。彩ちゃんはあまいよ。僕なんか、やる気がしないという気分になっても、すぐに、養っている家族の顔がちらつくからね。そして、僕の場合、それでがんばらなくちゃ!と思えるから」と。確かに私には養っている人はいませんから、彼と同じように気持ちの方向転換はできません。そのようなときに、彼のように「家族のため」に働く意欲がわく人もいるでしょうし、「自分の成長のため」にがんばれる人もいると思います。また、なにかを達成したときの「達成感を味わう」ことを目的として一生懸命になれる人もいるでしょうし、もっと単純に、「お金を稼ぐためなら一生懸命働ける」という人もいると思います。では、私の場合はそういう気分から脱出するときのきっかけになる気持ちはなにか?と考えてみても、それも釈然としません。もう、そういうときはあまり深く考えずに、やる気が出ない時期が過ぎるのを待つのみかな、とのん気に構えたりしています。
そんなとき、ある本を読んでちょっと考え方が変わりました。それは、母が「意外と良い本よ。少し彼を見直すかも。」と言って薦めてくれた本でした。「意外と」と言ったのは、母も私も、以前はその著者があまり好きではなかったからです。それなのに、読んでみたら、涙がポロポロと出てきて止まらなかったのです。

その「ある本」とは、昨年の 10月 1日に最後の打席を空振り三振で飾って引退したプロ野球選手、清原和博さんの自叙伝「男道」です。本を読む前まで、私は彼のことをこんなふうに思っていました。「男のくせに、それにスポーツ選手のくせに、耳に穴を開けてダイヤのピアスをつけたりするようなチャラチャラした人、私は嫌いだわ」と。だから、今年の初めに本を出したことは知っていましたが、興味はさらさらありませんでした。ついでに言うと、プロ野球人生、最後の打席を空振り三振で飾ったことも、実はかっこ悪いなぁとも思っていました。(清原さん、そしてファンの方々、ごめんなさい!)

彼の本は、リトルリーグの話に始まり、PL学園時代の活躍ぶり、桑田さんとの友情や確執、あの有名な清原・桑田の明暗が分かれたドラフト会議の一部始終、パリーグ西武での活躍ぶり、遅ればせながら憧れの巨人のユニフォームを着ることになったときの喜び、その後、怪我などが重なり、その不振を払拭するためアメリカで過激なトレーニングを積んだ苦しみ、突然巨人から解雇を告げられたときの悔しさ、オリックスの故仰木監督との出会いと別れなどが、彼の言葉で素直に綴られていました。ぎこちない文章で不器用に綴られていましたが、それがまた親しみを感じ、好印象を受ける理由でもありました。

野球に限らずスポーツ選手って「戦うこと」の連続だから、「勝てば嬉しい」「負ければ悔しい」という気持ちの波がいつも訪れているんですよね。一方、私のような人間は、日頃「嬉しい」という感情を抱くことはあっても、「悔しい」っていう気持ちになることはあまりないなぁと思ったんです。あまりどころか、私は今まで生きてきた中で「悔しい」と思ったことはないに等しいかもしれません。悲しい出来事はありましたけど、「悔しい」という気持ちは、一晩寝れば翌日にはケロっと忘れている程度の「プチ悔しい」ぐらいしかなかったような気がします。

しかし、清原さんは、ものすごく強い「悔しい」という感情をずっと抱き続けて生きてきているんです。野球の試合で一喜一憂する程度の「悔しさ」ではなく、もっと腹の底から沸々と煮えくり返るような「悔しさ」が、彼のプロ野球人生の原動力になっていたんです。その悔しさは、憧れの巨人に裏切られたあのドラフト会議での悔しさが一番大きいようですが、彼はそういった自分が味わってきた巨人軍への「悔しさ」を忘れないために、耳に穴を開けてピアスをはめることにしたそうです。(刺青と迷ったそうですが、ピアスにしたそうです。)ピアスを見る度に、「絶対にいつか見返してやる!」という気持ちになるように。すごい執着心ですよね。私がチャラチャラしているなんて思っていた彼のピアスには、そんな熱い想いが込められていたわけです。

私は、彼が「悔しさ」で逆境から這い上がり、「悔しさ」を原動力として野球人生を歩んできたその姿に涙したのかもしれません。でも、それがどういう感情から出てきた涙なのか、今でもよくわかりません。単なる「感動した」という表現では薄っぺら過ぎるし、哀れみの気持ちから「同情する」わけでもなく、「悲しい」なんていう悲観的な感情とも違います。なんて表現したらいいのか、うまく説明ができないのです。ものを書くことが仕事になっている私が、自分の感情をうまく説明できないなんて言っていることは致命的かもしれませんが、でも、この不思議な感情は、「読んでいるうちに涙がポロポロ出てくる気持ち」としか言い表せないのです。
本を読んだ後、清原さんのチャラチャラしたイメージはなくなり、今ではむしろ清原さんは筋が通っていて男気があってカッコいいなぁと思うようになりました。プロ野球人生最後の打席が結果的に空振り三振になってしまったのも、「僕は、最後はヒットよりも、思い切りバットを振ってホームランを打ちたい」という気持ちだったからだそうです。ゼロか 100 か、のような選択ですよね。
100でなければゼロでいい、中途半端になるくらいだったらゼロで満足だ、という考え方です。思い切りがあって男らしいですよね。

また、いろんな苦悩を背負って生きてきた人だから、彼の生き方の中には私が学ぶべきことがたくさんあるな、とも思いました。だって、もしも私になにか落ち込むようなことがあったとしたら、おそらく卑屈になって落ち込むだけで終わり、それを「悔しさ」に変えて「原動力」に結びつけることはできませんから。それどころか私は、「なんとなくやる気がしない」とか「やりたくないことがあると現実から目をそらしたくなる」と生ぬるいことを言っているような人間です。友達から「彩ちゃんはあまいよ」と言われても仕方がないかな、なんて思っています。ちょっと自己嫌悪です。
人にはそれぞれいろんな過去があり、その間にいろんな感情を抱いて生きてきていると思います。過去を引きずることは必ずしも良いこととは思いませんが、それでも、どんな感情をも前向きな力に変える、つまり清原さんのようにそれを何倍も大きな「原動力」に変えて生きていけるのならば、それはそれでありかな、と思いました。さて、みなさんの「原動力」は、どんな気持ちからきていますか?

<佐藤 彩子>