自動車業界ライブラリ > コラム > AYAの徒然草(86) 『執着を捨てる』
AYAの徒然草(86) 『執着を捨てる』
仕事で成果を出すことにも自分を輝かせることにもアクティブなワーキングウーマンのオンとオフの切り替え方や日ごろ感じていることなど素直に綴って行きます。また、コンサルティング会社や総合商社での秘書業務やアシスタント業務を経て身に付けたマナー、職場での円滑なコミュニケーション方法等もお話していくコーナーです。
……………………………………………………………………………………………
第 86 回 『執着を捨てる』
先日、スポーツジムに行って水泳の前に筋トレをやっていたときのことです。私のウエイトよりもずっと軽いウエイトを使っている男性を見かけたんです。しかも、とても辛そうにトレーニングをしていたんです。
私はその姿を見て、「えっ?ウソでしょぉ?」と驚きました。その次に思ったことは、「随分と軟弱な男性だなぁ・・・。私の方がよっぽど男らしいかもしれない・・・。」です。次に私は、思わず彼の全身を見てしまいました。おそらく年齢は私と同じくらい、体型は少し太っていますが、筋肉は多分、私の方がありそうだな、という印象でした。私は、そんな男性のトレーニング姿を横目で見ながら、不謹慎にも「以前の私だったら絶対にああいう男性には恋心は芽生えなかったなぁ・・・。でも今は可能性あるかも。」なんて考えながらトレーニングをしていました。
そのことを中学のときからずっと仲良しの親友に話したところ、こんなことを言われたんです。「彩もだいぶ大人になったね~。以前の彩だったら絶対に筋肉隆々の男性じゃないと好きにならなかったよね」と。私はこう答えました。「確かに以前はそうだったかもしれない。でも、今は無理して強そうな男性じゃなくてもいいって思っているわけではなく、自然にそう思えるようになったんだよね」と。そうしたら、次に友達からこう言われました。
「あれ?いつも『完璧』を目指している彩の答えらしくないね!でもさ、世の中には理想の男性なんてそう簡単にいないもん、少しは『妥協』しないとダメだよね。彩も『妥協』の境地に入ったってことだね!」と言われたのです。
私は少し余計なお世話だと思いながらも、彼女の言った「妥協」という言葉にだけはちょっとひっかかって、しばらく耳から離れませんでした。なぜなら、私は最近、この「妥協」ということをこう解釈するようにしていたからです。
私は、自分ができないことができる男性を尊敬し、好きになります。また、ものすごく高い目標を持ってそれに向かって努力している男性も好きです。普通の人にはなかなかできないことを目指していたり、とてつもなく大きな夢を描きロマンを持っている人が好きなのです。野心家というか、現状に満足せずに常に上を目指している人が好きなんです。そういう人は輝いて見えるからです。また、そういう人と一緒にいると自分も感化されて、なにか新しいことにチャレンジしようと思ったり、そういう素晴らしい男性と自分が少しでも釣り合う女性になりたいという気持ちになり、私自身にも向上心が生まれてきます。
しかし、そういう人と一緒にいると、時々、相手の向上心についていけなくなることもあるのです。あまりにも仕事熱心で私のことは二の次扱いになってきたり、また、気づけばデート中でも仕事の話ばかりになり、「これじゃあデートっていうか、ちょっとした自己啓発セミナーを受けているに近いな」なんて思うこともありました。つまり、一緒にいても、なんとなく息苦しいというか、窮屈を感じることがあったのです。
「窮屈」といえば、先日、こんなこともありました。週末にドライブに連れていってもらったんですが、私にとってすごく大きな問題が起こり、私は車中、苦痛でたまらなかったのです。
その問題とは、彼が車内で聴いていた音楽です。「一体、この音楽のどこが良くて聴いているんだろう?申し訳ないけれど、私に大きな雑音にしか聴こえない・・・。」と思うような音楽を聴きながらクルマの運転をしていたのです。「これって誰の歌?」と質問する気すら起きないほど私は不快でした。当然、二度とその人とドライブに行こうとは思いませんし、私の淡い恋心も一気に冷めてしまいました。
また、食事の好みも同様です。私が美味しいと思うものを美味しいと思わない、またその逆で、相手の男性が美味しいと思っても私は全く美味しいと思わない、となると、尊敬できる男性でも筋肉隆々の男性でも、私は、一緒に食事をしていても全然楽しくないのです。
好きな音楽や食事の好みといったほんのちょっとしたことの感覚が合う・合わないってとても大事だと思うんです。いわゆる「価値観」というような仰々しいことじゃなくて、日常のほんのちょっとしたことの感覚のことです。どんなに尊敬できる男性でもそこが合わないと致命的で、時間を共有することが窮屈になってきて長続きしないのです。すなわち、「筋肉隆々の体型で向上心旺盛の尊敬できる(だけの)人」よりも「尊敬はあまりできないけど、ほんのちょっとしたことの感覚が私とぴったり合う人」の方が一緒にいてハッピーなのかな・・・と、最近そう思うようになったのです。
だから、私はこれを、「妥協」とは思っていないのです。「妥協する」と言うと、なんとなく「しょうがなく諦めて折り合いをつける」という意味合いが強いですよね。でも、私の場合はちょっと違って、むしろ、「執着がなくなった」という表現の方が近いかな、と思っているんです。
つまり、私が筋肉隆々の体型の男性が男らしくて好きだったのに、今はそこは気にならないということは、決して無理してそう思うようにしているわけではなく、変な「執着」がなくなったおかげで、可能性が広がったと解釈しているのです。
ところで、私の大切な友人で、一年ぐらい前に脱サラして起業した男性がいます。事業は徐々に軌道に乗ってきてはいるものの、まだまだよちよち歩きで、彼は必死になって毎日、会社のためにがんばっています。そんな友人から時々、「今度うちの会社で新たにこんなビジネスを始めようと思っているんだけど、彩ちゃん、どう思う?ざっくばらんな意見を聞かせて。」というようなメールが来ます。
私は、消費者の側になって素直に良さそうなら良いと答えますし、難しいと思えば正直にそう答えています。でも、そのほかに気になることがあったのです。それは、ほんの数週間前に言っていたことと全く違うビジネスを考えている気がしたのです。それを、「コロコロ気が変わりすぎてない?」と指摘したら、彼はこう言いました。
「世の中の状況は刻々と変わっているんだから、経営者の考えなんて、一朝一夕で変わってもおかしくなんかないよ。それよりも、初志貫徹とか言って、周りの状況を把握せずに自分の考えを貫き通そうとすることの方が意味がないと思う。柔軟性がなければ経営者にはなれないよ。昨日言っていた方針と今日言っている方針が変わったって、部下はむしろその方がついてくるよ。日々いろんな情報を収集してよ~く考えているんだな、と思ってくれているみたいだよ」と。
確かに、私の知っている上の方々を思い返してみても、考え方に柔軟性がなく自分の考えに執着して周りの意見や客観的な状況を判断材料にしない人には部下はついて行かず、出世もしてないように思います。
さて、みなさんはどうでしょうか?私の恋愛話に限らず、仕事のことやそれ以外のことでも、「執着」を持ち続けた結果、いつの間にか窮屈を感じていたり、また、もっとほかの可能性があるはずなのにそれをつぶしてしまっていた、なんてことはないでしょうか?人間って一生懸命になればなるほど周りが見えなくなるものです。だから、気づけば、そこにそこまでこだわるほどでもなかったのになぜかこだわっていた・・・なんてこともありそうですよね。そんなときは、柔軟な考え方を取り戻し、「執着」を捨てることが大切なのかもしれません。
<佐藤 彩子>