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アフターマーケットの成功者たち(1)『ユー・エス・エス』
今や、国内製造業の屋台骨とも言える自動車産業。国内11社の自動車メーカーの動向は毎日紙面を賑わしている。
しかし、消費者にとって、より身近な存在と言えるはずの自動車流通市場については、あまり多く知られていないのも事実である。
群雄割拠の国内の自動車流通・サービス市場において活躍する会社・人物を、この業界に精通する第一人者として業界内外に認められる寺澤寧史が、知られざる事実とともに紹介する、新コーナー「アフターマーケットの成功者たち」。
第1回は、中古車オークションのリーディングカンパニー、ユー・エス・エスについて紹介する。
第1回『ユー・エス・エス』
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「日本の自動車販売台数、販売シェアのトップ企業はどこか」と聞かれたら読者の方々は何とお答えになるだろうか。
誰もがトヨタ自動車と答えることであろう。事実、トヨタ自動車の 2003年度国内販売台数は 171.3 万台で、2 位の日産自動車の 83.6 万台を大きく引き離しており、軽自動車や大型車を含む全需で 29.1 %のシェアを誇っている。
しかし、実はこのトヨタ自動車の国内販売台数をも凌ぐ自動車を取り扱っている企業が日本に存在する。自動車業界の方でも意外とご存知ないと思うが、東証一部上場の自動車オークション運営会社のユー・エス・エスがそれである。この新企画の記念すべき第一号としてご紹介したい。
自動車オークションという業種において自動車メーカーの売上に相当するのは、出品(受付)台数である。同社の 2003年度の出品台数は 177.2 万台、出品台数シェアは 29.6 %でトヨタ自動車の国内販売台数、国内販売シェアを僅かながら凌駕しているのである。
この数値を逆算すると分かるとおり、国内新車販売台数とオークション出品台数は、年間 600 万台で並んでいる。国内新車販売台数がここ数年新車需要の成熟から足踏み状態が続いているのに対して、オークション市場は成長が鈍化したとはいえ、いまだかつて前年割れしたことがない成長市場の一つである。
そのようなオークション業界にあって、ユー・エス・エスの出品台数、シェアは突出しているが、それは業績にも表れている。
2003年度業績は、売上高 338.2 億円、営業利益 153.3 億円、経常利益 153.8 億円、売上高税金等調整前当期純利益率 38.1 %、ROE 13.2 %、PER 27.17倍(8/30 終値ベース)である。トヨタの売上高税金等調整前当期純利益率 10.2 %、ROE 14.2%、PER 12.80 倍と比較して見ても、いかに突出した高収益企業かが分かる。
因みに、今年度は出品台数 200 万台超を見込み、売上高 424.3 億円、営業利益 180.2 億円、経常利益 182.1 億円と、更なる進化、成長が見込まれている。
ユー・エス・エスの沿革を触れておこう。
名古屋市で中古車卸売業を営んでいた服部太氏が「名古屋に常設のオークション会場を作りたい」との一念で仲間に呼びかけて、1980年に愛知県東海市に設立した愛知自動車総合サービスが原型である。
当時の服部太氏は、愛知中販のオートオークション委員長の職責にあり、組合のオークション事業の改革を唱えていたが、組合内で受け入れらずオートオークション委員長の職を辞して、理想とするオークション会場新設の実現を胸に秘めて作った会社が愛知自動車総合サービスなのである。
愛知総合自動車サービスを創業したとき、服部太氏は既に 50 歳を越えており、新規事業での失敗は許されず、絶対に後戻り出来ない状況であったであろうと思われる。
創業当時のメンバーも安藤副社長を除くと服部太氏と同年代であり 、 中古車販売事業で功なり名を遂げたひとかどの人物揃いではあったとはいえ、オークション業界では中販連系のシェアが 70~ 80 %の時代であっただけに、独立は相当のチャレンジであったに違いない。
会社設立後しばらくは、資金不足や愛知中販などの厳しい締め付けなどもあり、思うように出品台数が集まらず苦しい思いをしたと元副社長の柳田達哉氏から聞かされたことがある。
「寺澤さんね、会社は服部太が中心となって仲間で作ったわけだけれど、みんな地元で商売している中古車業者だからね。地元では裏切り者、お手並み拝見とばかりに相手にされず、蔑まれたものだ。」
愛知自動車総合サービスは、スーパーの駐車場を借りて第一回のオークションを開催するが、このような環境の中で出品は僅か十数台しか集まらなかったという。しかし、風当たりが強いことは覚悟の上での独立であり、創業メンバー間でお互い叱咤激励しながら東奔西走で出品のお願いに回った結果、次第に出品台数が増加し始めた。念願の常設会場での初オークションは 1982年 8月の夏真っ盛りに開催され出品台数約 370台 余、成約台数 255台、成約率 70 %と成功を収めたのである。
ここまでお話してきて、「ユー・エス・エスって何の略だろう」と気になっている読者も多いに違いない。1980年の創業以来、社名とは別にオートオークションのブランドネームとして使用され、1995年からは社名としても用いられてきている。
実は創業当時と現在とでは、略称の意味が異なっている。
創業当時の意味合いは、「Used car Scramble and Survival」の略で、熾烈な競争を勝ち抜き、「必ずや日本一のオークション会社を作り上げる」という決意を示したものであった。
愛知自動車総合サービスの創業の地が愛知県東海市座頭ケ峯にあったことから、筆者はこれをユー・エス・エスの原点を表すものとして「座頭ケ峯の決意」と呼んでいる。
ユー・エス・エスは、名古屋での地歩を 10年で固めると、1990年代から全国展開を開始し、「座頭ケ峯の決意」の実現段階に入る。
1992年の九州を皮切りに、1996年東京、1998年静岡、岡山、2000年札幌、西東京、2002年大阪、2004年横浜、2005年神戸と手綱を緩めることなく怒涛の勢いで拡大路線をひた走っている。この間にサール東北、JU 大阪、JAA 九州と3会場の M & A も成し遂げてきた。
こうした経緯だけを見ると、戦闘的な野武士集団のイメージで受けとめられがちだが、取引先との関係では細かい配慮もしてきたし、企業の成長過程で透明化も実現してきた。
取引金融機関銀行からは、名古屋、九州、東京の主力会場に財務担当役員の派遣をしてもらい、友好的な関係を構築している。
また、1999年年 9月には名古屋証券取引所 2 部上場を果たし、2000年 12月には東証 1 部、名証 1 部に上場している。
創業当時と現在とではユー・エス・エスの意味合いが違うと述べたが、同社では名証 2 部上場を機会に企業憲章を策定しており、その際にユー・エス・エスに新たな意味合いを持たせたためである。
新たな意味合いは、「Used car System Solutions」である。つまり、「日本一のオークション会社になる」という自社本意、規模を追求した「座頭ケ峯の決意」からの脱却である。
中古車流通を自社のインフラとシステムを活用して顧客の問題解決を行なっていく、中古車業界全体を公正で透明性の高いものに改革するという顧客本意のビジョンや、業界全体を見据えたミッションを表す企業憲章そのものに生まれ変わったということができる。
同社によれば、企業憲章は「中古車流通市場のエクセレント・カンパニーとして 21 世紀においても時代の最先端を走るための道しるべ」ということである。
確かに 2000年以降のユー・エス・エスの軌跡を辿ってみると、USS カーバンクネット、買い取りのラビット、マイカー AA の実施など直接消費者が利益を享受できる事業領域まで事業の裾野を広げている。また、2003年から取扱を始めたリサイクル AA も Used car System Solutions に沿った施策と理解できよう。
ここまで来ると、ユー・エス・エスにとって日本国内でやり残したことは少なくなってきたのかもしれない。実際に、2001年には三菱商事と合弁で、イタリア、2002年トルコでのオークション事業に進出した。しかし、両事業とも創業来赤字続きであり、トルコからの撤退と三菱商事との資本関係の解消で幕を閉じていると聞いている。
年頭のオークション協議会の賀詞交換会で服部社長と立ち話をする機会があった。「USS はね、170 万台の日本最大のオークション企業だけど、世界と比べるとまだまだ子供みたいなもんだね。世界には上には上がいる。アメリカのマンハイムは年間 600 万台やっている。現状に甘んじているわけにはいかない。」と語っておられた。同社の次の展開が楽しみである。
<寺澤 寧史>