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『国内販売低迷時に求められる経営判断』
◆TRW、サプライヤの集団日本移住に参加(TRW joins supplier trek to Japan)
<Automotive News 07/12/10 号掲載記事>
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【開発機能は日本に残るという読み】
米 Automotive News 誌の 07年 12月 10日号は、欧米のサプライヤが相次いで日本に開発拠点を設置する動きを見せていることを報じている。
代表的な事例がつい先日競合の独シーメンス VDO を 167 億ドル(2 兆円弱)で買収して世界第 5 位のサプライヤになった独コンチネンタルで、8月に横浜に 5O 億円をかけて 4 階建ての開発センターを設立した。2010年までに 500人規模まで陣容を拡大するという。
TRW オートモーティブ・ホールディングスがこれに続いて、11月に同じく横浜に 3 階建て、5 千平米の開発センターを設立し、130 人規模の体制でシートベルト、エアバッグ、ブレーキ、ステアリングシステムの開発や実験を行なうという。さらにマグナ・インターナショナルも日産 NTC のお膝元の厚木に続き、豊田市にも開発センターの設置を検討中だと伝えている。
欧米のサプライヤが日本の開発拠点の新増設に向かう理由は、成長力のある日本車メーカーとの取引を拡充したいためで、そのためには日本車メーカーの開発機能に早くから食い込んですり合せプロセスに関与しておく必要があり、それが日本にある以上は自らも日本に進出しておかなければ取引が成立しないと考えているからだ。
同誌はコンチネンタルのコメントを引用して「(日本国内よりも)中国やインド(など海外市場)における(日本車の)成長がいかに早いとはいえ、世界の自動車産業に影響するようなキーの意思決定は依然として日本で行なわれていることを忘れないことが重要だ」としている。(注:カッコ内は筆者の補足)
つまり、TRW やコンチネンタルなど欧米のサプライヤは、日本車の生産機能は海外が主体になり、それに伴って調達機能も海外に移転していくことは織り込んだ上で、それでも開発機能は今後とも日本に残るという読みを前提としているのである。
【開発機能が日本に残るための条件】
開発機能は日本に残るという彼らの読みは、現時点では間違っていない。
開発機能は日本に残すという考え方が自動車産業では一般的だからだ。
国内にマザープラントを持たず生産準備から始まる全ての生産プロセスを海外で行なうという意味で、初の世界戦略車といわれるトヨタの IMV ですら開発(一次設計)は国内で行なわれている。
トヨタ、ホンダ、三菱、スバル、スズキなど殆どの日本車メーカーが、海外生産車・海外専用車であっても、全ての車種の一次設計(Primary Design)は国内で行なっている(二次設計は海外拠点の場合もあるが)。また、筆者の知る限り上記 5 社に関しては 2013年頃までに量産開始予定の車種を含めても一次設計を海外で行なう計画はない。
これには大きく分けて 3 つの理由があると思われる。
第一に、開発資源の集中によるコストの削減とリードタイムの短縮である。
国ごとの顧客の嗜好や法規制の多様性に応じて世界中で製品開発を進めることが必ずしも顧客満足を高めることにはならない。デザイナーやエンジニアなどの人的資源や技術資産の分散や業務プロセスや管理システムの重複、部品点数の増加など、開発資源のムダを生じ、コストの上昇や商品投入の遅れを招きやすいという一面もある。結果として顧客満足を損なう恐れがあるから、寧ろ基本設計は一箇所で集中して行ない、市場ごとの多様性には二次設計で対応することに、作り手側の合理性だけでなく、買い手側の合理性もある。
第二に、一元的開発によるブランド一貫性と品質均一性の追求である。
世界中で市場ごとの事情に応じた製品開発を進めていくと、個別の市場・商品ごとには商品力を高めることができたとしても、ブランド全体、商品ラインナップ全体では一貫性や整合性のない商品群に陥る恐れがある。その結果、顧客や販売店に伝えるべきメッセージの混乱や希薄化を招き、宣伝費やインセンティブ費用、残存価格維持費用などマーケティング費用の増加に繋がりやすい。
さらに、日本車の最大の売りである製造品質も、生産工程で作り込むだけでなく、より上流の開発工程で作り込まないと追いつかない水準まで要件が高度化している。従って、開発工程が世界中でバラつくと、品質までバラつくことになり、品質の最大の敵はバラつきだから、開発を一元化しようという動機付けが働きやすい。
第三に、日本的ものづくりに適合した人材資源のアベイラビリティである。
上記二つの理由から開発の集中・一元化が望ましいとしても、集約するロケーションが日本でなければならない理由にはならない。日本を選択する理由は、結局日本車の開発に相応しい開発資源が世界のどこよりも日本に多く産出し、かつ手に入れやすいという環境があるからであろう。ストレートに言えば、日本的ものづくりに相応しい理工系の優秀な学生が一番採用しやすく、定着させやすいのが日本だから、ということになる。
この 3 つの理由が健在である限り、日本に開発機能を残すという考え方には合理性があると考えられる。
【開発機能が日本に残る可能性】
だが、現実には開発機能は徐々に日本から流出している。
日産の C プラットフォーム(ラフェスタ、セレナ、エクストレイル)、D プラットフォーム(エルグランド、ムラーノ、プレサージュ、ティアナ)や、マツダのアクセラは、国内で生産販売されているものでも、一次設計は資本提携先の海外拠点で行なっている(二次設計は国内)。
というのも、開発資源の集中・一元化の効果を発揮するためにはそれなりの事業規模が必要となるため、日本ではトヨタ以外の各社は概ねこの理論と現実のギャップに苦しんでいるからである。
海外メーカーと資本提携した日産、マツダの両社は、提携先のボリュームと合算することで開発資源の集中・一元化の効果を発揮しようとしており、車種やプラットフォームによって集約ロケーションが海外になることもあれば日本になることもある、という柔軟な使い分けをしているのである。
また、日本に開発拠点を置く理由の三番目の理由である人材資源のアベイラビリティも怪しくなり始めている。
少子高齢化の進展で若年層の絶対数が減少しており、中でも理工系への進学や就職を目指す若者が減ってきている。
さらに技術立国、知的財産立国は全産業に共通する国是でもあるから、開発需要の増している自動車産業だけが限られた人材資源を独占できない環境にある。全般的な学生の学力の低下が人材争奪戦の厳しさに拍車を掛けている。
そうなってくると、正に人材資源のアベイラビリティの観点から逆に開発機能を海外に移転しようという動機付けも働きやすくなり、そもそも日本での開発に拘る理由を問い直す動きも出てくるのは当然である。
特に自動車メーカーにとっての日本市場の位置付けが小さくなった場合である。
2006年に日本車は世界で 21 百万台生産されたが、そのうち半分の 10 百万台は海外市場のために海外で生産されたものであり、国内で生産された 11 百万台もその半分以上は海外市場に輸出するためのものであった。
つまり、海外市場の好調と国内市場の低迷により、今や日本人のために作られる日本車は 4台中 1台もないというマイノリティである。
4分の 1 以下というマイノリティを別の角度から考えてみよう。
企業では最も大事な定款の変更や国家の基本法である憲法の改正は 3分の2以上の賛成で決議される。ある国を軍事的に制裁するといったことを決める国連の安全保障理事会に至っては(常任理事国が拒否権を行使しないことを前提としてだが) 15 理事国中 9 ヶ国以上、つまり 5分の 3 以上の賛成で決議される。つまり、4分の 1 以下のマイノリティには定款変更や憲法改正や安全保障理事会決議を阻止する力はないのである。
そうなると、わざわざ日本人向けに製品開発(一次設計)を行なってそれを海外に転用するよりも、海外で一次設計した商品を日本市場向けにローカライズすることで十分ではないかという議論が海外市場から出てきてもおかしくないし、マーケティング的にも採算的にも理がある。
実際に上述の日産車、マツダ車はグローバルにマーケティング的にも事業的にも成功しているものが多い。トヨタのカローラアクシオは国内専用にナローボディを開発したが、先代のプラットフォームを流用することで折り合いを付けたからこそ可能になったものだと考えられる。
日本人エンジニアが得意とするのは、当然のことながら日本人向けの製品開発だが、日本人向けの製品開発が二次設計に留まるのであれば日本の開発拠点の規模は、従来日本車メーカーが海外に置いている開発センターと同程度で構わないという議論に発展しかねない。
今よりももっと国内販売が減少した場合はもっと複雑な問題が生じる。
現在は国内販売が減ってもそれ以上に輸出が伸びているために国内生産は寧ろ増加しているし、トヨタの高岡工場、ホンダの寄居工場など高効率で、コスト的にも労務費の安い新興国の工場よりも安くものづくりができる国内生産拠点も出てきているからすぐに輸出用の国内生産が減るとは思われない。
だが、「消費地で作る」というのは、無駄のないキャッシュフロー経営や顧客満足を実現させるための JIT、後工程引き取り方式という日本的ものづくりの究極の姿であり、あるべき姿である。輸出に頼っていたのでは輸送リードタイムの分だけキャッシュフローや顧客満足を毀損するし、それを避けるために海外に厚めの安全在庫を持つとキャッシュフローは更に悪化し、コストにも跳ね返るから顧客満足にもマイナスである。
もちろん、輸送コストや関税、為替リスク等により、商品の競争力や経営の安定性を阻害するという問題もある。
従って、やはり長期的には輸出は海外生産に代替されていくと考えるべきで、国内生産は国内販売のためのもの、国内販売が減れば国内生産も落ちると考えるべきものであろう。
ということは、極端な話、国内販売がゼロまで落ちると国内生産もゼロとなり、日本の開発拠点は生産機能を持たないカロッツェリアに転じることになる。
カロッツェリアが事業的に成立するものだろうか。
2007年 12月 10日付けの Automotive News Europe 誌は、欧州のカロッツェリアの苦境を報じている。そもそも彼ら本業のカロッツェリアの殆ども、開発機能だけでは事業的に成り立たず、実態はニッチモデルの生産受託によって成り立ってきた。
だが、昨今は、自社工場での変種変量生産への対応力を増した自動車メーカーがカロッツェリアへの生産委託を削減、打ち切りしている影響で、独カルマン、仏 Heuliez、伊ピニンファリーナ、伊ベルトーネなどが一様に経営的に苦境に陥っている。オーストリアのマグナ・シュタイアも BMW X3 の受託打ち切りの影響が懸念されたが、新たにミニのクロスオーバー車の受託が決まったことで一息付いた。工場のない R&D センター機能だけでビジネス的に成立しているのは、自動車デザインから発展して多様な工業デザインを手掛ける伊イタルデザイン(ジウジアーロ)や伊ザガートくらいではないだろうか。
これら本業のカロッツェリアはデザインに特化したり、2 万台以下のワンオフに近い超ニッチカーや電気自動車の製造やサンルーフなどの架装などで生き延びていくだろうと言われているが、全就業者人口の 8 %、日本の全製造業の設備投資額の 23 %という社会経済的影響力を持つ日本の自動車産業がそのようなビジネスで成り立つはずはないし、日本経済も耐えられない。
また、機能的に維持しようとしても能力的に維持できないということもありうる。先週本誌で実施したワンクリックアンケートの結果(本誌後半に掲載)を見ると、8 割の人が生産が減れば技術力が下がるのは避けられないと見ている。また、そのうち 6 割以上の人が中でも開発力の低下を招くと考えている。
「ものづくりはラインで製品を作って磨き上げていくもの。研究室で作られるものではない」、「生産を海外移転した家電が開発力でも海外に負け始めた
ことを見れば分かる」、「生産技術の課題(製造品質)を上流で解決しようというのが開発技術(開発品質)だから、生産が減って生産技術からのフィード
バックが減れば開発技術も落ちる」という補足意見も多数あった。
結局のところ、国内販売の減少が国内生産の減少とリンクした段階で開発機能を日本に残すことは非常に困難になるということである。
【開発機能を日本に残すという判断】
日本は技術立国していくべきであり、技術立国を可能にするために国内販売を減らしてはならないというのが筆者の思いである。
従って、ではどうやって国内販売を維持するのか、どうすれば日本人が自動車産業が作り出す製品をもっと買ってくれるのか、という問いに行き着く。
これに対する答を出すのは容易ではないが、少なくとも 3 つの方向性で検討する必要があると思われる。
第一に、事業ドメインの変更も視野に入れることである。
クルマを買わない人たちになぜ買わないのか、どうしたら買う気になるのか、何だったら買うのか、リジェクターズ・サーベイを行なって、事業ドメインの整合性を検証してみることである。
これまでリジェクターズ・サーベイといえば、「トヨタのお店に来たのに結局ホンダを買っていったお客さんにその理由を聞く」ことを意味していた。
ここでいうクルマ・リジェクターとは、トヨタもホンダも買わない人、クルマを買うことを考えてもいない人のことを指す。
仮説としては、ファミリー以外の若年層、女性層、シニア層がありうる。これらの顧客層では、日常の生活サイクルや意識の範囲、行動の導線の中にクルマという商品や自動車ディーラーというものがそもそも存在しないということが考えられるから、どうやってそこに入り込むかを本誌においても種々考察している。年明けから大谷や宝来がそうした観点からの考察を本誌で発表していく予定である。
だが、もしかしたら、クルマという製品の形を取る限りそもそも無理なのかしれない。そうであれば、車椅子やパートナー・ロボットへの事業ドメインの拡張や変更も経営的には視野に入れるべきだろう。
第二に、問題を構造的かつグローバルに検討することである。
国内販売が不振だというと、これを日本市場固有の問題だと断定し、国内営業本部の責任だと問題を絞り込んでしまう自動車メーカーが多い。
だが、国内販売低迷の原因の少なくとも一部には、経済的要因(ガソリン価格の高騰等)、人口動態的要因(少子高齢化、都市集中等)、技術的要因(IT普及による物理的移動需要の低下等)、製品特性的要因(自動車の耐久品質向上等)による代替サイクルの長期化という構造的理由が認められることは多くの人が認識しているとおりである。
そして、これらの要因は決して日本特有の問題ではなく世界共通の問題であり、日本固有の問題があるとしたら人口動態的要因だが、それとて偶々その要因が日本でいち早く大きく現れたに過ぎない。度々指摘しているように、同じ問題は英仏以外の殆どの欧州諸国、東アジア諸国でも数年の時間差で発生するグローバルな問題でもある。
国内営業部門の既存リソースだけでなく、異業種や海外の課題解決の事例や教訓を織り込みながら、構造的かつグローバルに対処できるように組織や人事やプロジェクトの設計を見直す必要があるのではないか。さもないと、日本固有の問題として対症療法を行なっているうちに世界中で次々に同様の問題に直面する恐れがある。
第三に、国内への開発資源の配分を敢えて増やすことである。
4分の 1 のマイノリティのために限られた経営資源を優先配分するべきではないというのは、正論である。
だが、こう考えたらどうだろうか。世界的にも歴史的にも前例のない病原菌による最初の症例が日本で見つかり、当然まだ治療方法は見つかっていないが、一度発病すると死に至ること、また病原菌の構造や感染プロセスを観察すると実は世界中に蔓延する恐れがあることまでは判明しているとする。
そのときに世界には風邪やアトピーで苦しんでいる人の方が遥かに多いからという理由で、予防薬や治療薬の開発への投資を惜しむだろうか。
そもそも日本車が世界的に受け入れられている理由の一つはそれが日本向けに開発された日本の DNA を多分に含んでいるからだと考えれば、日本向けの開発ポーションを落とした分だけ日本的 DNA の総量が減り、結果として世界における現在の日本車のポジションを弱める恐れがある。
4分の 1 のマイノリティの想いよりも多数決でものを決するというのは、短期的には経済合理性があっても長期的な経済合理性に反する場合もあるということだ。
そして、これら 3 つとも現場の裁量権を超える話であるから、結局は経営者の想いや覚悟が問われるリーダーシップと経営戦略の問題ということになる。
<加藤 真一>