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2015年の国内自動車市場は果たして縮小しているか
◆米上院、自動車平均燃費規制(CAFE)の強化をめぐり、妥協案で合意
<2007年 06月 24日号掲載記事>
◆韓国政府、高齢者向けの自動車を開発へ
<2007年 06月 25日号掲載記事>
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【この問題を取り上げる理由は何故か】
9年前に 6 百万台を割り込んだ後、590 万台前後で安定的に推移してきた国内自動車市場が昨年もう一段階落ちて 570 万台の水準となった。いよいよ少子高齢化の影響が現れ始めた、ついに中長期的な衰退の前兆が出たと見る向きが多い。
自販連は新車販売台数どころか保有台数まで 2018年以降(中でも東京は 2011年以前に、その他 6 道府県も 2016年以前に)減少に転じると予測している。
今年 10月に開催される東京モーターショーは 8年ぶりに乗用車と商用車が同時に出展される賑やかなものになると期待されるが、一方で欧米メーカーの中にはアジアで複数のモーターショーに出展するのは非効率だとして東京を避けて中長期的により重要な北京・上海のモーターショーにシフトする動きも出てきていると言われる。オートバックスやガリバーなど主要なアフターマーケット関連事業者も急ピッチで海外進出を進めている。
日本では世帯構成が極限まで最小化されている上に、既に 1 世帯に 1台以上が普及済みで、今後その世帯数が減少していくわけだから中長期的には避けられない傾向にはあろうが、本当にそんなに早く国内を見切ってしまっていいのかという問題提起が今回の主題である。見切る前提に立てば国内専用の製品開発は凍結されてしまうだろうし、販売網の整理も急がざるを得ない。大きな方向転換であるから、一度縮小に向かえば後戻りはきかない。少なくとも多大な時間を要する。極めて重要で慎重な判断が要求されるからである。
【自動車需要停滞の主犯は誰か】
かつて自動車の購入や維持に回っていた家計の支出が携帯電話やインターネット代などの通信費や教養娯楽費に回されてしまったとか、住宅ローンや教育費の負担が重くなって自動車どころではなくなったという俗説があるが、これらは事実ではない。
総務省統計局の家計調査によれば、2001年から 2006年までの 5年間に家計(全世帯)の消費支出はおよそ月 15 千円減少した(その主な動機は収入の減少)。中でも減少幅の大きいのは、こづかいや交際費など「その他の消費支出」で月額 7 千円弱減少している。ついで「食費」で月 4 千円弱の減少。それから「住居」、「被服及び履物」、「教養娯楽」(いずれも月 1,800 円前後の減少)、「家具・家事用品」(月 1,300 円弱)、「教育」(月 400 円弱)の順番となっている。
逆にこの 5年間で最も家計支出が伸びているのが、「自動車関係費」を含む「交通・通信」で、月 900 円強増加している。支出の増加幅ではトップの「保健医療」と同水準である。
「交通・通信」にはバス・鉄道など公共輸送の運賃や、携帯電話代など通信費の支出も含まれるが、公共輸送関連は月 700 円弱減少している。通信費は確かに増えているが月額 900 円少々の増加に過ぎず、必ずしも「自動車関係費」を圧迫していない。「自動車関係費」も月額 600 円強(2001年 16,500 円、2006年 17,100 円)増加しているからである。
実は、自動車購入費用を圧迫しているのは、自動車自身であると考えられる。
「自動車関係費」の主要なアイテムは「自動車購入費」と「自動車維持費」の二つであるが、前者が 2001年(月額約 5,100 円)から 2006年(同 3,900 円)にかけて月額 1,200 円(23%)減少しているのに対して後者は同じ期間に約 11,200 円から約 13,000 円に月額 1,800 円増加している。その主因はガソリン代と任意自動車保険料にある。つまり、自動車の維持にお金が掛かるために代替のためのお金が捻出できなかったのが 2006年の市場急落の要因の一つになったという仮説が立てられる。携帯電話代はおこづかいや交際費の削減で捻出されており、自動車の買い控えの主要因とはいいがたい。
もちろん、ガソリン代の増加は世界的な原油相場の高騰を石油元売業界が小売に転嫁した結果だし、自動車保険料の増加は交通事故の増加分を損保業界が回収に回ったことが一義的な要因である。だが、自動車業界側ではこのように考えるべきだろう。もし、あと 20% (ガソリン代の増加分)燃費に優れた製品を開発していたら販売台数の落ち込みはなかったかもしれない。また、予防安全に優れた製品を開発して事故件数をあと 5% (保険料の増加分)減らしていたら売上は下がらなかったかもしれないと。
そこで冒頭に上げた米上院の妥協案を読み返してみると、北米自動車産業は自らを傷つけているように思えてならない。当初の法案は、2020年ガロンあたり 35 マイル(リッター 14.7km)を達成した後、毎年 4% ずつ改善し、2030年にガロン 51.8 マイル(リッター 21.8km)を自動車メーカーに義務付ける内容だったものが、産業界の反対で 2020年の水準で打ち止めの内容で決着したのだ。
それからもう一つ重要なことがある。消費支出が月額 15 千円も減額される中で、自動車関係費は(それが維持費であれ購入費であれ)僅かでも逆に増額しているという事実は、パーソナル・モビリティという価値の、景気変動や構造変化に対する剛性がいかに高いかを示している。このことは誰に対して、どのような価値を持つ自動車を提供する者がこの市場でしぶとく生き延びることができるかを示唆していると言えるのではないだろうか。
【国内自動車市場のオポチュニティとリスクは何か】
家計調査を別の角度から眺めていると面白いことに気付く。収入と消費支出と自動車関係費支出の 3 つの間にいくつかの捩れが見られることだ。
日本の全都市平均(勤労者世帯)では、家計収入(中でも勤労者世帯の収入の中核である勤め先収入)は月 449 千円、消費支出は同 282 千円、自動車関係費支出は同 20 千円である(2006年)。この平均と県庁所在地の家計を比較してみると、次のような現象が見える。
1.日本で最も家計収入の高い地域は、北陸、東北、中京、四国に分布している(トップは金沢の 568 千円、ついで福井の 536 千円)
2.逆に家計収入の低い地域は、関西、北海道、九州である(最低は那覇の 299千円、ついで大津の 339 千円)
3.家計収入の割に消費支出が少ないのは、名古屋、千葉、和歌山の各都市と山陰(全都市平均では勤め先収入の 63% が消費支出に充てられているが、名古屋では 55% にとどまる)
4.逆に家計収入の割に消費支出が多いのは、前橋、仙台、新潟、甲府の各都市のほか、関西や九州の都市である(前橋では家計収入の 83.8 %が消費支出に回っている)
5.家計収入の割に自動車関係支出が少ない地域には、東京、横浜、大阪など大都市が入り、これは予想通りだが、和歌山、秋田、岡山、松江、奈良、熊本、高松など地方都市でも同様で、総じて東北、中国、四国、九州では自動車関係支出が相対的に少ない(全国平均は 4.6%、東京は 2.2%)
6.逆に家計収入の割に自動車関係支出が多いのは、金沢、新潟、前橋、神戸、甲府、宇都宮など関東周辺と日本海側の各都市に多く、北陸、中京、南九州にも多い(金沢は家計収入の 9.0% を自動車関係に支出している。全都市平均は 4.6%)
7.消費支出の割に自動車関係支出が少ないのは、上記 5 の各都市のほかに、北九州、長崎、大津、仙台などがあげられる(全国平均は 7.2%、東京は 3.5%)
8.逆に消費支出の割に自動車関係支出が多いのは、主に 6 と同様の傾向(最高の新潟は消費支出の 13.7%、ついで金沢の 13.6% が自動車関係)だが、神戸(9.9%)、名古屋(9.8%)、千葉(8.1%)などの大都市もここに入る
この中で特に注目したいのは当然のことながら 5~ 8 である。そこに国内自動車市場のオポチュニティとリスクが潜んでいると考えられるからである。
5 や 7 に見られるとおり、東京、横浜、大阪などの大都市では収入や総支出の割に自動車関係支出が少ないが、だからといってそこにオポチュニティがあるとは言い切れない。交通インフラが発達したそれらの都市では、維持費のかかる自動車を購入する積極的な理由がないことが主な原因と考えられるからだ。
だが、神戸、名古屋、千葉のような少し規模の小さい大都市では収入や総支出の割に自動車関係支出が多いのはどうしてなのか検証してみる価値があるだろう。
また、地方都市でも収入や総支出の割に自動車関係支出が高いところもあれば、低い地域もある。もちろん高支出地域の中には収入の減少によって支出が高く見える地域もあろう。だが、低支出地域には未開拓の自動車市場が残されている可能性があり、見込みなしと安易に切り捨ててしまうのではなく高支出地域の事情・戦略が何なのかを検討してみるべきである。
特にここでは自動車の購入台数ではなく、支出金額を見ているから、もしかすると相対的に支出の低い地域と言っても台数は出ていて、単価が低い(例えば軽自動車)だけなのかもしれない。その場合は、どうしたら単価の引き上げ(つまり小型車移行)を受け入れてもらえるかが検討課題になる。
逆に高支出地域と言っても高額車だけが動いていて台数的にはまだオポチュニティを残している可能性もある(いずれにせよコンビニ業界で売れ筋・死に筋分析に頼りすぎると、扱ったことのない隠れた売れ筋商品の存在に気付くこともなく機会損失を生みかねないのと通じる点があると思われる)。
リスクと言う点では、相対的に自動車支出の高い地域は総じて比較的所得も貯蓄高も高い地方だということを考慮しなければならない。これらの地域では社会の高齢化が一段速いスピードで進行しており、退職金を得て年金生活に入ったクラスターが多いからこそ現時点での所得や貯蓄が多いとも考えられる。
しかしながら、社会を賑わせているように年金の財政・管理は危機的な状況にあり、既に給付水準は低下し始めている。長寿化によって退職金で得た貯蓄の持続性にも懸念が生じる。日本の家計貯蓄率は 3.1% と 90年代半ば頃の米国の水準まで落ち込み、数年内にマイナスに転じると見込まれており、現金での買い物やローンの頭金捻出に支障が出てくるものと予想される。
一方で保健医療の必要性は増加するが、国家保険財政・地方行政財政もまた厳しい状況にあって自己負担の増大を余儀なくされる。運転に必要な認知・判断・操作能力の物理的低下も否めない。
国内自動車市場を底支えしてきた地方都市が高齢化のリスクに晒されているのである。2015年の自動車市場が縮小しているとする説の根拠の一つはそこにある。
【需要創出と社会秩序維持は誰の務めか】
ここで財政破綻した夕張市のことを考えてみる。それがきっかけは別として日本が抱える構造的な問題と根が通じていることを考えると、おそらく数年以内に第二、第三の夕張が日本全国に現れるはずである。そこまで行かなくとも地方の医療を支える病院や交通を担っている公営・第三セクターの公共輸送はどこも財政的に回らなくなって、廃止や減便を余儀なくされているはずである。今後高齢者の増加に伴って最も必要となるインフラが危機に瀕しているのである。
そうなると地方から中核都市や大都市に住民の移動が始まると思われるが、中核都市や大都市側にも受入れの余力はそれほどないだけでなく、もし受入れが可能だったとしてもその結果、この国は後進国と同様の社会に陥る可能性がある。つまり、首都や一部の大都市だけに人口の殆どが集中し、その結果、都市はスラム化し、荒廃した地方は反社会的勢力の温床となっている状況である。
また、人間の尊厳についても考えてみなければならない。数年前に徳大寺有恒自動車文化研究所の所長から聞いた話が忘れられない。「欧州人は市民革命によって封建社会からの自由を得たのではない。産業革命によって移動の自由を手にしたときに初めて自由になったのだ。」という話だ。「欧州ではなぜ ATの普及が遅れたのか」という話の中から出てきたコメントだ。「人間の自由や尊厳は政府や制度によって保障されるのではなく、自らの意思で自らの行動をリニアにコントロールできる能力によって実現するものであり、欧州人の DNAには AT がそれに反すると刻み込まれている」というのが彼の主張であった。
若干大げさな気はするが、欧州人はケチだからというだけでは説明しきれない部分を補完する話だと思う。
そこで再び夕張の話に戻るが、日本が後進国的な社会と化すことは絶対に避けたいと思う。また、どんなに年を取って多少は身体が不自由になっても自分の身の回りのことは自分自身でケアし、必要なら自らハンドルを取って病院に行くことのできる尊厳ある人生を最後まで送りたいと思う。パーソナル・モビリティこそが文明の進歩と人間の尊厳の証だと思う。おそらく殆どの日本人に共通する思いではないだろうか。
そのようなことは国が考えればよいことだと思われるかもしれない。だが、もし、日本の自動車産業がこうした問題に向き合わず、自ら出来ることがあっても何ら回答を出さずに、若者向けのかっこいいクルマや生産性の高いクルマを作ることばかりにのぼせているのだとしたら、これまで優秀な人的リソースの継続的供給を受けて「Made in (または by) Japan」のブランド構築の恩恵を受けてきた日本社会への裏切りであって、日本車メーカーを名乗る資格はない。これは、日本車メーカーとしての根源的アイデンティティの問題であり、企業のミッション(存在目的・存在意義)に関わる本質的問題なのである。
しかも、既に見てきたとおり、自動車に対する需要を作るのも潰すのも結局は自動車産業自身なのである。
【自動車メーカーの打ち手とその意味は何か】
冒頭の記事によれば、日本以上の少子化に直面している韓国では政府が音頭を取ってシニア向け自動車の開発を進めるという。
日本では自動車メーカーがやれることが沢山ある。
第一に、製品開発面では圧倒的に優れた燃費、人の認知・判断・操作の漏れや誤りを補完・補正し、年齢や能力に拘らず交通事故を予防する究極の ASV (先進安全自動車) を開発し、ガソリン代や保険料等の維持費負担をミニマムにすることである。
第二に、販売流通面では個人個人の事情や嗜好を完全に把握する CRM システムとコンサルタント(コーチング、インテリアコーディネータやヘルスケアなどの能力を持つ人材)を開発・育成し、世界に一台しかない受注生産型・独自仕様のパーソナル・モビリティ(その代わり値引きはない)の発注を手伝う購買代理人オフィス(販売代理人であるディーラーとは異なる)を全国に配置することである。
第三に、生産・物流面では世界に一台しかない自動車作りを最短のリードタイムと最小のコストで実現できる究極の BTO (Build to Order)型生産ラインと SCM システムを作ることである。
第四に、金融面では残価保証型ローンを普及させ、どうしても生産 ・ 販売効率面から高価なものになりがちなパーソナル・モビリティを、貴重な貯蓄を使わずに獲得する手段を提供することである。
このような手立てを打って行った場合、2015年の国内自動車市場は果たして縮小しているだろうか。
既に見てきたように、パーソナル・モビリティという価値は景気変動や構造変化に対してサステイナブルである。しかも、社会の高齢化と行政の財政悪化により、移動の自由を伴う尊厳ある人生への期待値は高まって行くのに交通インフラの利便性の低下は免れないから、パーソナル・モビリティ需要は一層増大すると予想される。事実、経産省は人口動態変化を踏まえて家計の「交通・通信」支出は 2000年を 100 とした場合に、2015年には 111.7 まで増大すると予測している。これは保健医療の伸び(100 → 114.9)と大差ない水準である。
また、ここまで主にシニア市場を中心に述べてきたが、生産年齢人口の減少により一層の社会進出が期待される女性層にとっても世界に一台しかない自分仕様の時間・空間づくりの魅力度は高いというのが、「女性脳」論者のわが秘書の見方である。
従来以上にパーソナル・モビリティを必要としながらクルマを諦めつつあるシニア層、現在は軽自動車で我慢している女性層、その両者が集まる地方都市には未開拓のオポチュニティがあると考えられ、自動車産業の創意工夫で潜在需要を顕在化できれば、2015年の国内自動車市場はそれほど悲観的なものではないかもしれない。(ここに来て金利が上昇基調にあることも金利収入への依存度が高い高齢者世帯には朗報である。)
そしていま日本で先行することは世界に先駆ける意味も持つ。欧州の多くの国々は日本に少し遅れて少子高齢化社会に突入するし、中国も 2030年には 2 人に 1 人が 60 歳以上の超高齢化社会を迎える。その先行実験を体験済みの自動車メーカーは 2015年以降も世界をリードする立場に立っているのではないだろうか。
<加藤 真一>