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ウチだけは、あそこだけは、特別だという意識を捨てる
◆クルマの外に出かけることでデザイナーは新鮮さを保つ(Designers stay fresh by going outside autos)
<AutomotiveNews2006年09月11日号掲載記事>
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【カーデザイナーは内に閉じ籠もっていてはいけない】
米自動車業界専門紙 Automotive News はカーデザイン特集を組み、消費者から指摘された代表的なカーデザインの問題を取り上げている。
・フォード・エクスプローラの 2006年モデルは、衝突時の衝撃から腰を守るためにドアの内側に大きなクッションを装着していたが、その結果、乗員がドア開閉時に掴む場所がないとクレームが出たため、発売後 3 ヵ月で設計変更を発表することになった。
・Mini のカップホルダーには、かつてスターバックスのトール・ラテが入らなかったので初期品質評価を大きく落とし、設計変更までの間、オーナーに専用のマグカップを配って対応することを余儀なくされた。
・日産クエストは、3 列目シートのヘッドレストが後退時の視界を遮るので外してトランクにしまっておかないといけないとメインユーザの「ママ」たちから不満が出て、2007年モデルから自動折り畳み機能を追加する必要が出た。
いずれもユーザがどんなシーンでどんな風にクルマを使うのか、インテリア・デザイナーがもう少し想像力を働かせていれば追加コストの支出と商品評価の低下を予防できたのではないかと思われるものばかりだが、実際のところカーデザイナーは構造的に想像力を欠きがちなところがあるらしい。
Automotive News 誌は、商品調査分析の専門家の次のコメントを引用している。「プランナーやデザイナーはあまりに近くでものごとを見ているので、自分たちが普通の消費者とは違う考え方をしていることに気付かなくなる。」
しかし、デザイナー個人個人に全ての責任を押し付けるのは気の毒だ。寧ろ、問題はデザイナーが想像力を欠いてしまうようなところに隔絶させている構造にあるだろう。同誌も別のところで自動車からヨットにフィールドを移した著名なデザイナー Dale Frye 氏の言葉を引用している。
「自動車産業では、コンセプトから生産までに、別々の規律を持つ分野からの関与を要求することが他産業に比べて遥かに多い。カーデザイナーたちは自分の顧客から 4 歩も 5 歩も隔絶したところに置かれ、自分のクルマを買ってくれる人々のことを知らない。」
同誌も取り上げているが、この問題を克服しているのが BMW の在米デザインスタジオのデザイン・ワークス・ USA である。限度はあるものの、同社はカーデザイナーが会社の設備と時間を使って自動車以外の仕事をすることを許容しており、寧ろ境界線を越えて仕事をすることを「異種交配」と呼んで推奨さえしている。伝統に囚われない創造的なものの考え方を養うのに有効であり、結果としてそれが会社の利益に貢献すると考えているからである。有名なカーデザイナーのジウジアーロ氏もカメラや洗濯機のデザインも行なっていることにも同誌は触れている。
カーデザイナーは内に籠もっていてはいい仕事はできず、籠もらせないような組織的な仕組みにすることが重要だという考え方は欧米のみのものではない。
ホンダには市場調査を専門にする部署がなく、SED と呼ばれる営業・生産・開発の混成チームが自ら市場に出向いてデザイン訴求層に対して根掘り葉掘り聞く方式を取る。「時計を見せろとか、お前何色のパンツをはいているのだとか」まで聞き取るのだそうである。
【デザイン部門の課題と責任1】
デザイン部門の課題はカーデザイナーを内に籠もらせない仕組みづくりだけではない。私どものところに聞こえてくるものだけでも 3 つある。
1.売れるデザインが出てこない
2.デザインコストが高い
3.デザインがなかなか決まらない
いわばデザインの Q (売れるデザイン)、C (デザインコスト)、D (デザインフィックス時期)である。
この中では、第一の「売れるデザインが出てこない」という悩み・クレームが最も多い。ユーザがデザインを重視する以上、当然のことである。
プロトコーポレーションの「自動車購入時に最も重視するファクターは何か」という調査(複数回答)によると、1 位は「価格」(62 %)だが、2 位に「デザイン」(48 %)が来る。「メーカー」(41 %)や「性能」(31 %)、「装備」(21 %)よりも上位にあり、輸入車だけを捉えると「デザイン」は圧倒的な 1 位(75 %)である。
だが、だからといってデザインの問題をデザイン部門だけの課題や責任と見ていいのか、(デザインが当たるか当たらないかは発売してみないと分からないという)デザイン固有の問題と捉えていいのかはもう少し考察してみる必要がある。そうでないと、結局自動車メーカーの経営がこの部分で分断されてしまった、占い師的な経営に陥りかねないからだ。
そこで、世の中に「売れるべきデザイン」と「売れるはずのないデザイン」の二つがあると仮定して、どの時点で「売れるべきデザイン」が「売れるはずのないデザイン」に変わるのかを軸として 3 つのケースに分類してみよう。
1.当初から(デザインに着手したときから)「売れるはずのないデザイン」だった
2.当初は「売れるべきデザイン」だったが、デザイン決定までに「売れるはずのないデザイン」になった
3.デザイン決定時でも「売れるべきデザイン」だったが、結果として売れなかった
この中で三番目のケースではデザイン部門に責任を負わせるのは少し無理がある(「全面的に」ではなく「少し」と言うのには理由があるが、後で述べる)。設計部門が異なる図面を引いてしまったか、製造部門が図面と異なる製品を作ってしまったか、販売部門が製品にふさわしい売り方をしなかったか、といった原因を考える方が自然である。
では、一番目のケースはどうだろう。つまり、当初から「売れるはずのないデザイン」だったケースである。これにも三つの可能性がある。
まず、商品企画が求めたとおりのデザインを出したが、実は商品企画が想定したほどにデザイン訴求層がいなかった場合で、この場合もデザイン部門の責任ではない。商品企画のマーケティング・リサーチの間違い、失敗であり、その精緻化が解決策になる。
次に、デザイン訴求層は実在したのに全く見当違いのデザインが出てきてしまった場合。これは一見するとデザイン部門の責任と映るが、実際には商品企画の責任の方が大きい。後工程に自分の意思をきちんと伝えることが前工程の義務であり、「きちんと伝える」というのは「伝わるように伝える」ことを意味するからである。特に自動車メーカーの多くは工学部出身で論理が共通言語だが、デザイン部門は美術大学や芸術学部の出身者で感性を共通語にしている。翻訳の漏れや間違いが生じ易いのだから、メッセージの送り手が細心の注意を払い、受け手に正確に伝わっているかを確認する責任がある。
(先ほど、デザイン決定時まで「売れるべきデザイン」だったケースでデザイン部門に責任を負わせるのは「少し」無理があるとしたのは、メッセージの送り手としての責任は免れないけれども、漏れや誤解の少ないデジタル・データや実寸モデルを出している以上は受け手側の責任の方が大きいという意味である。)
第三の可能性が、陳腐なデザイン。「売れないデザイン」という場合、狭義にはこの可能性を指摘したもので、原則としてデザイン部門が責任を負うべきものである。
つまり、商品企画は正しく、デザイン部門への指示も的確だった(つまりデザインの方向性は合っていた)が、デザイン訴求層の感情を動かし、購買行動を促すほどには刺激的・画期的ではなかったという可能性である。
この問題の解決策の方向性は二つあるだろう。
一つは初めから創造力に溢れたデザイナーを雇うこと、もう一つは平均的なデザイナーを創造的なデザイナーに育成していくことである。前者はお金で解決できることだし、内部に一定の刺激を与えるために必要なことでもあろうが、持続性・一貫性のあるものを目指すなら社内のデザイナーの創造性を維持・向上させるような仕組み・仕掛けがより重要である。上述したようなデザイナーの創造性を掻き立てるような仕掛けや、人事制度・待遇その他制度的要因に上げるような仕組みを用意するなど、デザイン部門だけでなく全社的な取り組みが求められよう。
その次に、当初は「売れるべきデザイン」だったが、デザイン決定までに「売れるはずのないデザイン」になったケースを考察してみたい。これにも大きく分けて 3 つの可能性が考えられる。
第一に、市場の変化。デザイン着手した当初にはそのデザインは確かに顧客が欲しがるものだったが、デザイン決定までの 1年~ 1年半の間に顧客の好み(もしくは法規制や技術革新による市場の方向性)が全く変わってしまい、デザイン決定時までには「売れるはずのないデザイン」になっていた、ということは考えられる。この場合の責任はデザイン部門にもあるだろうが、モニタリングや意思決定の問題とも言える。詳しくは後ほど「制度的要因」のところで述べる。解決策としては、商品企画による企画の継続的レビューと、意思決定システムの中での軌道修正が考えられる。
第二に、競合デザインの出現。競合がデザイン決定時までに全く同じデザインを決定すれば、自社のデザイン決定時までには少なくとも一部はデザイン訴求層を失うことになる。仮に競合の開発リードタイムが自社よりも短い場合には、この脅威はデザイン決定後にも続くことになる。この場合は、自社のデザインが何らかの理由で競合に流出してしまったのでなければ特定の誰かの責任は問えない。可能性として避けられない問題であり、解決策としてはとにかく開発リードタイムを短くして同じデザインでも他社よりも早く市場投入することである。
第三に、制度的要因。主に「モニタリング」、「コミュニケーション」、「意思決定」の 3 つのメカニズムのことを指す。この要因で「売れるべきデザイン」が「売れるはずのないデザイン」になってしまったとしたら、経営システムに問題があるということになるだろう。そしてこれは、「デザインがなかなか決まらない」という問題の原因でもある。
「モニタリング」というのは、商品企画が提示したコンセプトとデザインの間に一貫性・整合性が取れているのかを評価する軸と基準を持ち、デザイン業務プロセスの途中途中で計測・確認を取っていくことである。上述したように商品企画とデザインとの間には、ロジックとエモーション、インダストリーとアートという大きな溝があるから、メッセージの伝達過程だけではなく常にモニタリングしておかないとずれが生じ易い。
「コミュニケーション」には、部門間コミュニケーションと部門内コミュニケーションがある。前者は、商品企画とデザイン、デザインと設計という部門をまたがった情報共有・同期化の仕組みのことであり、商品企画との間のコミュニケーションについては既に触れたが、デザインと設計の間でも常に情報共有・同期化を図っておかないと、素材の物性、生産技術、法規制対応、品質保証、目標原価・質量・寸法等の面から実現不可能なデザインが出てきかねない。
その結果、デザインの手直しが発生し、時間と費用の損失になるほか、「売れるべきデザイン」が「売れるはずのないデザイン」に変質しかねない。部門内でも同様である。デザイン部門には、エクステリア・デザイナー、インテリア・デザイナー、カラリスト、モデラー、CAD オペレータなどの職種とサブ組織があり、相互に連絡を取り合わないと整合性や一貫性のないデザインが出来上がりかねない。
KM (ナレッジメント)やデザイン同期化ツールを活用することのほか、デザインプロセスに他の部門の人間を関与させたり、デザイナーに他の部門の実務を研修させることなども解決策として考えられる。
「意思決定」とは、デザイン決定までに、どの時点で、どんな頻度で、どんな人たちが、何を評価の軸と基準として、どこまでの範囲で、デザインの変更・修正を命じていくか、というメカニズムのことを指す。トップが随時何度でも詳細まで自分の好みで全面的な修正の指示を出すようなメカニズムであれば、「売れるべきデザイン」が「売れるはずのないデザイン」になってしまうのは当然である。意思決定をシステム化・見える化する必要がある。
また、組織設計や人事運用が意思決定に影響することも多い。日産はデザイン部門を開発部門から独立させ、デザイン部門の発言力を高めた。組織変更を伴わなくても意思決定に影響力を持つポストに誰を配置するか、何を基準に人事考課を行なうかによっても意思決定のあり方は変わってくる。
【デザイン部門の課題と責任2】
「デザイン・コストが高い」という問題は、デザイン部門が責任を負うべきものだろう。デザイン部門の設備や使用する部材の量は他部門に比べればずっと小さいから、コストとは結局内部の人件費(工数)と外注費の問題である。
工数は人・月で表されるとおり、一つのデザインに関わる人の数と、一つのデザインが完成するまでの期間の掛け算である。従って、人的生産性を高めるか、リードタイムを短縮するかで削減可能である。
人的な生産性を高める方法はバラつきをなくすことだろう。
人の数が多数必要になるのは、仕事の量の入り方にバラつきがあるか、個人間の能力にバラつきがある場合で、前者の場合は高い方に、後者の場合は低い方にある程度合わせざるを得ないから全体として人の数が多めになる。
解決策は、前者の仕事量のバラつきに対しては外注の活用ということになろう。だが、それ自体がコストであるから、デザイン業務の平準化や、内部人員で賄うべきことと外注に任せることの識別、そして外注管理の精緻化が必要になるだろう。
後者の個人間の能力のバラつきに対しては教育、経験(機会提供)、人事ローテーションが解決策だと日産の常務執行役員・中村史郎氏は Automotive News誌に語っている。
リードタイム短縮の方法は、前述の制度的要因を解決して手戻りを減らすことのほかに、既に相当実行されていることだがプロセスの一部(例えばモデリング)をデジタル化したり、モジュラー化(デザインやカラーコンビネーションの引き出しを作っておく)したりすることで時間的なロスを最小化する。
【カーデザインは特殊か?】
「カーデザインは特殊だ」という話をよく聞く。その意味は二つあって、カーデザインには自動車メーカーの他の業務とはかけ離れた固有の能力が要求されるという意味と、カーデザインには他の製品のデザインとは異質のプロセスが求められるという意味があるようだ。
だが、上記に見てきたとおり、カーデザインを巡る問題に責任を負い、解決策を提示できる部門はデザイン部門に留まらないし、その解決の方向性も自動車メーカーの他の業務のそれと大きく異なる性質のものではない。
また、デザイン部門に要求される要件が異業種と比べて大きい・広い・深いという面はあるにしろ、根本的に違うものが要求されているとも思われない。
自動車メーカーの他の業務との最大の差異を上げるとしたら、既に述べたように他の業務プロセスは基本的に論理的・構造的アプローチが全てであるのに対して、デザイン部門ではそれだけでは済まされず、感情的・創造的アプローチが不可欠だという点にある。
だが、この両者は意外に通じ合う面もあるように思う。最近まで伊ピニンファリーナでフェラーリのデザインを指揮してきたケン片山氏は NHK でこう語っている。
「個性とプライドという牙を持った猛獣のようなデザイナーたちが提出してくるデザインスケッチの欠点を一人ひとりミーティングの場で洗い出し、徹底的に指摘する。一切の容赦はしない。わざととげのある言葉で挑発してデザイナーたちの闘争心に火をつける。」
どんな指摘なのかは知る由もないが、公の場所で個性とプライドの高い人間に対して感情的に創造性の議論をしていたのでは人を説得し、引っ張っていくことはできないのではないかと思う。
おそらくは感情的で創造的なデザイン・アイデアと、ブランドや商品企画との一貫性・整合性の欠如を指摘しているのではないかと考えられ、そこに論理的・構造的アプローチとの接点があるように思う。
また、異業種のデザインとの最大の差異は、「デザイナーと顧客の間の距離」にあると上述の Dale Frye 氏は言っている。だが、デザイン・ワークス・ USAやホンダは組織的にこの問題を解決していることは既に述べた。しかも Frye 氏自身、「ヒューマンファクターやエルゴノミクス、素材、色などの面では自動車とそれ以外の製品デザインは密接に結びついている」とも Automotive News誌に語っている。
このように見てくると「カーデザインは特殊だ」とは必ずしも言えないことが分かってくる。もし、自動車のデザインに問題が起きているとしたら、それは何事でもそうだが「ウチ(あそこ)だけは違う。ウチ(あそこ)だけにはよそのやり方を取り入れることはできない。」という内外の思い込みに本質的原因があるのではないだろうか。
弊社が以前国内で自動車ディーラー向けにセミナーを開催したときに栃木のディーラーの事例を引き合いにして経営課題と解決策をお話したところ、群馬のディーラーから「栃木と群馬では全く環境が違う」という反論をいただいた。笑うことができるだろうか。
<加藤 真一>