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「軌跡と構造」-クルマ社会の複合図-(8)「先進国とクルマ」
これまでさまざまな要素の影響を受けながら、クルマ社会は世界各地で発展を遂げてきました。
いすゞ自動車にて国内マーケティング戦略立案等を経験したのち、現在は住商アビーム自動車総研のアドバイザーとしても活躍する中小企業診断士、小林亮輔がユーザー、流通業者、製造業者という立場の異なる三者の視点に日米欧という地理的・文化的な視点と時間軸の視点を加えつつ、クルマ社会の構造の変遷とその将来を論じていくコーナーです。
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第8回「先進国とクルマ」
【空間・時間とコーホート】
物事を整理するとき、いくつか箱を用意します。例えば、タテ軸に空間距離、ヨコ軸に時間、といった具合に、物事を整理するための MECE分析軸をどう組み合わせるか試行錯誤を繰り返して箱をつくり、情報を収めていきます。
空間軸や時間軸は、市場の特性や変化をとらえるとき基準にすることがよくあります。整理箱を開くと、「四国では軽自動車が多い」とか「北海道では幅の広いトラック、ホイールベースの長いトラックが多い」といったことを発見できます。さらに空間軸を世界に広げると、「アメリカでは日本では信じられないくらい巨大なピックアップがよく売れている」とか、「世界中どこでもだいたいその地域の土壌の色に近いクルマが売れている」ことなどがわかります。
クルマの話に限りませんが、地域を取り巻く風土、文化、歴史等によって人々のニーズは大きく異なります。それぞれのニーズにフィットするために空間軸=空間距離や時間軸を念頭に市場を分析し、時間軸では、さらに時代効果、年代効果、そしてコーホート(世代効果)を意識していきます。まず、3つの時間軸、時間の概念です。
【時代とクルマ(時代効果)】
今、ベトナム・ハノイからのニュース報道を見ていると、多くのオートバイが走っていることに気づきます。GDP がある水準になると、オートバイが売れ始めます。かつて日本もそうでした。筆者が幼いころ、乾物屋の主人が運転するオートバイの荷箱に積まれて運ばれた?経験がありました。
「三丁目の夕日」や「稲村ジェーン」といった映画には軽のオート三輪車が登場し、ノスタルジーを誘います。初期のオート三輪車はオートバイに屋根をつけた程度のものでしたが、1950年代、オート三輪車は街の仕事を支えるクルマでした。内輪差がないという特性が重宝され、80年頃までは切り出した材木を積み、林道を走るオート三輪車が見られましたが、やがて日本では姿を見かけなくなりました。その後、オート三輪車は東南アジア各国で街の仕事を支え続けました。タイでは三輪車シムロの時代は終わりつつあるようですが、インドネシアでは今でも庶民の足として活躍しています。その姿を見ると、デジャビュ(既視感)、どこか日本で、昔、見たような感覚にとらわれます。
【経済成長と地域差】
経済発展がさらに進み、日本では昭和 30年代、トラックが道路建設やダム建設などの社会資本形成の場で活躍します。日本では 1960年代後半になると、モータリゼーションの波が訪れ、クルマの中心は乗用車になりました。
筆者は、十数年前まで「社会資本が充実し、国民所得がある水準になると、クルマの中心は乗用車になる」と信じていました。しかし、大型ピックアップが、今、全盛のアメリカ市場やタイ市場をみていると、それが思い込みによる勘違いだと気づきました。やはり、地域を取り巻く風土、文化、歴史等、空間軸によりニーズは異なっています。そのことについては後述します。
【年代とクルマ(年代効果)】
最近、自動車業界では日本の若者のクルマばなれが問題視されています。アメリカのようにクルマによる移動の必然性のない日本では、若者がクルマばなれするのも当然かもしれません。かつてはクルマをドライブすること、クルマを使ってレジャーに出かけることが日米欧に共通した若者の姿でした。
アメリカでは、1960年代、若者をターゲットとしたフォード・マスタングが爆発的にヒットし、その成功を足がかりにアイアコッカはフォードのトップへの道を登りつめました。これまで、いつの時代も「若者のクルマ」が自動車産業の起爆剤であり、各社が競って開発を進めました。
【「若者のクルマ」】
1980年代、「若者のクルマ」を分析していて次のことに気がつきました。当時、日本で売れていた「ニューファミリア」「ワンダーシビック」の初期購入ユーザーが、いずれも 25 歳を中心にほぼ正規分布していたのです。そして時間を経るにしたがって、まず若年層へ、さらにファミリー層に広がっていくことがわかりました。筆者は「親ばなれして、はじめて自分が選ぶクルマ」という仮説を立て、当時、手掛けていた新型ジェミニのワーキンググループを「主体性を発揮する 25 歳」中心のチームに組み替えることを提案し、認められました。85年に発売されたジェミニは、当時のいすゞの実力としてはそこそこ売れたので、今でも自分なりに「仮説に間違いはなかった」と信じています。
【世代とクルマ(世代効果・コーホート)】
時代ごとに「若者のクルマ」があり、団塊以前、団塊の世代、ポスト団塊、団塊ジュニア、それぞれの世代に自分が若かった頃の名車、思い出のクルマがあります。アメリカではマスタングが、日本でもカローラ、サニーがあるいはハコスカと呼ばれたスカイラインはある世代を代表する名車です。
しかし、「名車である」「品質が高い」という思い込みが判断を誤らせることがあります。情緒的に好き嫌いが問われる乗用車に限らず、冷静に性能が評価されるトラックや SUV でもトラブルが発生します。
【先進国のクルマと途上国のクルマ】
1980年代後半、大型トラック各社は中国に輸出した車両に関して中国政府からクレームを受けることになりました。新聞、テレビには金額、台数の多かった 1 社のみが、再三、取り上げられましたが、大型トラック各社とも同じような状況でした。クレームは、走行距離が短いにもかかわらず、トラックのフレームにヒビが入るという内容でした。
80年代半ばの中国への大型トラック輸出は、当時、国内市場の需要低迷に苦しむ大型トラック各社のライン稼働率を維持するために通産省(当時)の肝いりで行われた政策的な輸出でした。当時、すでに日本の大型トラック各社の車両は世界各国への輸出で信頼を獲得し、「品質が高い」と自負していただけに、突然のクレームは、当初、信じられませんでした。原因は、当時の中国は社会資本が未整備で悪路を走る頻度が高く、フレームへの負荷が大きくなり、ヒビがはいったようです。
【途上国時代のトラック】
話は変わりますが、昔、先輩からこんな話を聞きました。過積載が横行していた日本の高度成長期、ある工事現場でダンプカーのサスペンションがたびたび破損するので改善してほしい、という要望があったそうです。当時の設計担当者は、積載重量 10 トンの車両に過積載 20 トン、合計車両総重量 30 トンの積載に耐えるようにサスペンションを設計しているので、「壊れるはずはない」と考えていました。しかし、工事現場に行くと、30 トン近い過積載をしているのでサスペンションが破損することが判明したのです。
信じられないのはその後のことです。事実を知った設計担当者は 30 トンの過積載、車両総重量 40 トンに耐えるよう設計変更し、会社もその設計変更を認めたそうです。過積載規制が厳しく、コンプライアンスが問われる現在では、また、コストダウン意識が浸透し、過剰品質を許さない現在では信じられないことです。極論ですが、日本の高度成長期、すなわち、まだ日本が途上国だった時代のトラックを中国に輸出していれば、中国のどんな悪路を走ってもフレームにヒビがはいるようなトラブルは回避できたかもしれません。
【今の技術は最高か?】
1950年代、アメリカの自動車の品質が高かったことについては、前回、「GMの改革」で述べました。1950年代のアメリカでは素晴らしい自動車関連技術が開発され、それらは現在もいかされています。しかし、当時のアメリカの自動車をグローバルスタンダードとすることにはかなり無理があります。アングロサクソンの血がそうさせるのか、それでもアメリカ人たちは「今の技術は最高」だと考え、世界の市場にアメリカの自動車を売ろうとしたのです。
1980年代、中国に大型トラックを輸出するとき、日本の大型トラックメーカーでも「今の技術は最高」と考えていなかったでしょうか?今、日本の自動車産業に携わる皆さんは日本の「今の技術は最高」「先進国のクルマならどこのマーケットにも対応できる」とは考えてないでしょうか?
空間軸と時間軸を踏まえた冷静な評価と対応が不可欠です。下手に振舞えば、驕る産業は久しからず、「盛者必衰の理」を表わす、ことにもなりかねません。
次回は「欧米の昨日・アジアの明日」と題して、今回のテーマをさらに掘り下げたいと思います。
<小林 亮輔>