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道路も線路もOK、JR北海道が開発中の両用車を試験運転
北海道月形町のJR学園都市線沿線を走行し、一般公開された。線路上を約12km、時速 70km で走行後、沿線を走る国道 275 号で出発駅へと戻った。試験は 8月末まで行われ、3年後の実用化を目指す。マイクロバスの改造にかかる費用は鉄道車両の 8分の 1 程度の約 1500 万円という。
<2004年7月7日号掲載記事>
◆JR 北海道の「デュアル・モード・ビークル(DMV)」、走行テスト同乗記。朝日新聞「乗り心地は意外と快適だが、燃料が軽油で車内には排ガスの臭いが…」
<2004年7月8日号掲載記事>
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「線路も道路も走れる車両」という発想自体は取り立てて珍しいものではない。実際、朝日新聞の記事によれば、1930年代には英国、ドイツで試験が始まり、日本でも旧陸軍が試作を始めていたという。
ではなぜがこれが注目記事かというと、二つの視点に意味があると考えるからである。
1.異業種から学ぶ
2.顧客から発想する
1.異業種から学ぶ
開発者が JR 北海道だということから、多くの人が「道路も走れる汽車」を想像すると思うが、実は「線路も走れる自動車」なのだ。これまで失敗に終わった DMV はすべからく前者であった。普通に考えれば線路の方が制約条件が多いから、汽車として成立させたうえでより自由度の高い道路に展開させるというのが自然な考え方である。
ところが、それでは道路に出てからの問題が大きい。車輪ががたついて乗り心地が悪い。直線はよくてもカーブや車線変更時の安定性が悪いなど。制約条件の高い線路レベルでは我慢できても一度道路に出たら自動車と同じ水準が求められる。そのギャップを如何に埋めるかについて鉄道側にナレッジと経験が不足していることが最大の難関だ。それを解決しようとしたらとんでもない時間とコストを要する。結果的に 70年前のトライアルもその結果、失敗に終わって日の目を見ていない。
今回、JR北海道は逆のアプローチを取った。
自動車をどのように線路に適応させるか。幸い、鉄道特有の制約条件や課題を踏まえてどんな対応が必要なのかについては社内に蓄積されたノウハウがある。その逆転の発想が今回の成功を生んだという。
もちろん、逆のアプローチにも問題はあろう。最大の問題は、自動車は基本的に前進用に作られている。運転席は前方一箇所にしかなく、ギアも後退用は一段だけである。鉄道は U ターンを前提にしていないから、時によって延々と後退が必要になるが、自動車を改良するという発想で技術的に克服可能なのかという点である。シンガポールで空港と市内を結ぶ新交通システムを自動車ベースで開発しようという話が持ち上がったときにもこの点が引っ掛かったそうだ。JR 北海道でも 2007年の実用化を目指して試験を始めたばかりだし、改善を要する課題も山積みのようだ。
だが、最終的に成否がどうあれ、自社内の論理、業界の常識にとらわれずに素直に異業種のよいところを取り入れる、異業種の失敗に学ぶという発想自体に意味があると思う。
日々業界内の熾烈な競争に晒されていると次第に感覚が麻痺してしまい、「業界最高水準」「業界平均並み」というところに安住してしまい、業界外の出来事や知恵を他人事のように感じてしまうことが多い。
ユニクロやしまむらが一世を風靡したときに、それらがそれ以前のアパレルと比べてどこがどう優れており、どこに危うさがあったのか、自動車業界では真剣に研究されただろうか。PS2 やゲームキューブはグローバルブランドとして定着したのに、PC98 はなぜリージョナルブランドにとどまったのか、「選択と集中」の代表選手のような吉野家やマクドナルドのビジネスモデルを BSE 以前にどう評価していたのか、雪印や牛肉偽装問題が起きたときに三菱自工に限らず自動車業界全体でどのように受け止めていただろうか。
社会的存在である企業やその集積である業界が、社会やその一員である異業種の企業や業界と無縁でいられるはずがないのに、つい異次元の世界の話だと思い込んでしまうところに危うさや限界があるのではなかろうか。(やや我田引水的だが、そういう意味もあって、末尾にスーパー、コンビニから学ぶマーケティングの知恵のコーナーを設けているので、ご参照願いたい。)
昨今、中国の自動車産業が他社の技術や部品を組み込んで(もしくは模倣して)急成長しているのを見て、「自動車の製品アーキテクチャーはインテグラルであって、モジュールアーキテクチャーのバイクや家電製品とは異なるからあれでは成功しない」という決め付けの風潮が一部にあることを心配している。異業種で起きたことが自分の業界では起きないと決め付けてしまうのは非常に危険な兆候だし、実際にホンダやスズキは二輪から発展して世界企業に成長した実例があるのだから。
2.顧客から発想する
今回こういう形の DMV を JR北海道が思いついた背景には、高齢化が進み、医療機関への移動手段のニーズが高まる一方で、赤字廃線が進み、 代替交通機関がお年寄りや患者にはあまり現実的でない自家用車のみになってしまった地域の現状がある。公共交通機関としてバスもあるが、そちらも自家用車に押されて赤字続きで、路線が分断・制約されており、何回も乗換えを余儀なくされる。
JR 北海道が標的顧客と位置づけているのは、こうしたお年寄りであり、お年寄りが必要とするサービスを考え、その提供に必要な器を形にしていくと、結果的に赤字ローカル線や廃線区間への乗り入れも可能な自動車ベースの DMV になった、という。
作り手の側の論理による技術開発、製品開発とは異なっている。それだけに採算を取るのは簡単ではなさそうだが、自らを、地域の高齢者の交通面での問題解決を支援する会社だと位置づける信念や使命感は明白であり、それが正しく伝わり、正当な評価を得られれば当面商業ベースに乗らなくても一定の目標を達成したことになるという思想であろう。
勿論、株式会社である以上、採算度外視でコミットメントを持続していくことは不可能であり、無責任ですらあるので、JR 北海道の場合も中長期的には勝算があってのことだろうと思う。その上で短期的には作り手の論理でなく、「顧客から発想する」ことが中長期的繁栄をもたらすと考えているはずだ。
先般、富士重工の中期経営戦略について触れた。
https://www.sc-abeam.com/sc/library_s/column/3689.ht
そこで、同社が目指している技術開発の方向性が、「モノ先行の技術」から「人の心へ響く技術へ」にあると述べたが、JR 北海道の今回の取組みも同じ方向性にあるのではなかろうか。
「顧客から発想する」というと、一般的な「顧客志向」と同義に受け止められがちである。即ち、「細かな商品のスペックについて大衆に聞いて要望を取り入れること」と誤解され、「そんなモノづくりをしていたら市場のマス迎合的な陳腐な商品になってしまい、結局顧客に受け入れられなくなる」と心配する考え方がある。
「顧客から発想する」というのは、そうではなく、自社にとって一番大切なお客さんは誰なのか(違う言い方をすると、どのような人たちから愛着と信頼を得たいのか)を定義すること、その人たちが自社を評価してくれるのは自社がどのような価値を提供できたときか、その価値実現のためにはどのような商品、サービスが必要か、という順番で考えて、提案していくことである。
丹念な市場調査を行って、既存製品に関する顧客の不満や要望を聞き入れ、長年の研究成果である技術や装備を盛り込んで完全な形の製品に仕上げたはずなのに、市場に投入してみたら他社の製品と見分けが付かないとか、面白みがない等という評価しか得られないというのは自動車業界人として本当につらいものである。
だが、もしかすると出発点に何か問題があったのかもしれない。
「他社がこういうセグメントで成功している。当社も狙うべきだ。」というところから出発していたら、それは「顧客から発想」したものとは言い難い。
<加藤 真一>