GM の Lutz 副会長、米国のエンジニアのトレーニング・・・

◆GM’s Lutz: US engineers need better training
(GM の Lutz 副会長、米国のエンジニアのトレーニングには改善が必要)

(心と制度・組織の官僚化を防ぎ、外部の声に耳を傾けてイノベーションを)

<2005年04月18日Automotive News記事>

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【米国の自動車エンジニアの課題】

米国デトロイトで開催された 2005年 SAE (自動車エンジニア協会)
Automotive Engineers World Congress (自動車エンジニア世界大会)の基調演説に立った GM の副会長 Robert Lutz 氏はこう語ったと、Automotive News誌は報じている。

「システムを変えない限り、北米(の自動車産業)は将来のグローバルなエンジニアリング上の課題に対処することができないままである。」

「米国のエンジニアはアジアやドイツのエンジニアたちに比べて明らかに見劣りする。バーチャル・エンジニアリングに頼り、自ら進んで手を汚さないシステムになっている。海外では doer (実行する人)を育てる教育になっているのに米国では manager (管理する人)ばかりを育てている。多くの場合、米国のエンジニアは bone-deep な(体に染み付いた)理解に欠け、専門家を沢山呼び込まないと図面引きやモデリングができなくなっている。」

一見すると CAx やデジタル・エンジニアリングの否定のようにも受け止められるかもしれないが、そうではない。実際、同氏は GM が進める VR (バーチャル・リアリティ)エンジニアリングの推進者の一人である。
開発技術としてのデジタル・エンジニアリングの重要性を否定したのではなく、エンジニアのスキル・セット(技能)に関する人材開発プログラムのあり方や、エンジニア個々人のマインド・セット(思考)のあり方について、警鐘を鳴らしたものと理解すべきであろう。

「もう一つの問題が、多くの米国企業で見られる遅くて官僚的な開発プロセスだ。マツダ、三菱、スズキ、GM 大宇や富士重工など訓練された開発チームを持つ会社では鈍重なコミティー・システムなどなく、その場で概念的な解決策が生み出されることも多い。」

こちらは言うまでもなく、組織の肥大化と細分化の結果、臨機応変な意思決定能力を欠いてしまった米国自動車産業の組織の硬直化の問題点を指摘したものである。

個々人の心の持ち方や、人材開発プログラム、組織構造という、心と制度・組織の硬直化・官僚化が今日の米自動車産業の疲弊の遠因になっているというLutz 氏の見解には同感である。販売不振・業績不振から批判を浴びる一方の GM であるが、こうした点にいち早く気付き、その反省を踏まえて人事制度と組織体制の再構築に着手している点はもっと評価されてよいと思う。

【業界外部からの評価】

ところで、果たして上記で触れたような人事と組織の硬直化・官僚化は米国自動車産業だけに見られる問題であろうか。日本も含めた自動車産業全体に言えることではなかろうか。業界外の評価を聞いてみる必要がある。

日本の村田製作所の米国法人の米人事業開発マネージャーが、2005年 4月 11日付の Automotive News 誌で次のように語っている。

「自動車のサプライ・チェーンにテクノロジーを売ることは uphill battle(風下での戦いのごとく困難)である。」
「(当社のような)サプライヤーには巨大なコスト削減の圧力が掛かっているが、コストを大きく削減できる提案をしても今度は彼ら(自動車業界)の側がプロセスできない。(自動車業界の)エンジニアが新しいアイデアに対してもっとオープンであること、サプライヤーに対して自主的解決を考案させるための余地を与えることが必要で、それ(ができていないこと)が本質的問題ではないかと思う。」

オークランド大学の PLM の専門家である Peter Van Hull 氏も同誌に対してこのように語り、ムラタUSAのマネージャーのコメントを支持している。

「昨今の課題解決の多くは(自動車メーカーの)ミドル・マネジメント層の手に握られていると言っていいが、問題は彼らには全体像が見えていない。エンジニアの中間層の大部分は、ビジネス・ケースを見て判断を下すためのトレーニングを受けていない。」

また、同誌はクレムゾン大学の機械工学部長 Imitiaz-ul-Haque 氏の次のコメントを引用している。

「私たちは異文化圏の人たちの考え方を理解することがまだ不得手である。」
「自動車が複雑になるにつれて、機械工学と電気工学は一体で動かなければならないが、両者はまだ別々の科学で、エンジニア同士が同じ言語で対話することは今後の課題である。」

こうしたコメントの多くは程度の差はあっても日本の自動車メーカーにもあてはまるのではないだろうか。

異業種や取引実績のない会社からの提案がいかに画期的なものであったとしても、自らの経験がなかったり、自分の専門以外の領域に跨るものであった場合は、(忙しいこともあるが)取り扱いの判断ができずに後回しにしたり及び腰になったりすることはよくあることだと思う。
また、社内でも開発と購買、生産技術の間や、販売と工場の間の垣根は勿論のこと、開発の中でも設計と解析、解析と実験、ボディー設計とエンジン設計とシャシー設計など、あちこちに組織の壁が見られるのではないか。
心と、制度・組織の官僚化は決して米国の自動車産業の専売特許ではないというのが筆者の見解である。

【外部の提案に耳を傾けてイノベーションを】

筆者は 2004年 8月に本誌 vol.29 (下記 URL 参照)にて次のとおり述べた。

<知的財産権の価値評価が低いという意味では、フォードだけが特別なのではないという指摘もある。
ある時、異業種から自動車産業に進出した企業から次のような声を聞かされた。
「自動車産業は、ソフトやノウハウ等の付加価値に対価を払うという異業種では当然の市場原理が働かない特殊なムラ社会。耐久性など要求が高い割に価格建ては業界全体としてコストプラスの発想を出ないので、設備投資や最新技術投入の動機付けに薄い。」
こうした認識が広まると、自動車産業の革新と成長の抑制要因になる恐れがあり、業界全体で考えなければならない問題である。>

自動車業界では今日 100年ぶりに「OS (オペレーティング・システム)」の変更が起きようとしている。内燃機関が動力の主役から少なくとも共演(ハイブリッド)の座に移りつつあり、いずれは脇役になる時代(燃料電池)が来るかもしれない。
また、「安全」や「環境」は不可避のテーマであり、それを実現するためにも、また価値観の多様化に伴う「利便性」や「娯楽性」追求のためにも、その道具としての「制御」「統合」は不可欠であり、クルマは「電子化」「通信端末化」「ソフトウェア化」の流れにある。

それらはいずれも旧来の自動車産業が持っていない異業種・異文化圏の知恵や技の吸収や導入を必要とするものであって、外部の提案に耳を傾けることのできない心と制度・組織の官僚制を維持し続けることは自殺行為になる。
ぜひ柔軟で素早い対応の出来る業界に生まれ変わって欲しいと思う。

<加藤 真一>