AYAの徒然草(13)  『セレンディピティ』

仕事で成果を出すことにも自分を輝かせることにもアクティブなワーキングウーマンのオンとオフの切り替え方や日ごろ感じていることなど素直に綴って行きます。また、コンサルティング会社や総合商社での秘書業務やアシスタント業務を経て身に付けたマナー、職場での円滑なコミュニケーション方法等もお話していくコーナーです。

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第13回 『セレンディピティ』

もうじき、街中がクリスマスのイルミネーションで光り輝くロマンチックな季節になりますね。そんな、ロマンチックなクリスマスを背景にした映画はたくさんありますが、中でも私の好きな映画の 1 つ、「セレンディピティ」(Serendipity)というコミカルでハートフルな映画をご存じでしょうか?

クリスマスプレゼントを買う客で賑うクリスマス直前のニューヨークのデパート。そこで、最後、1組しか残っていないカシミヤの手袋を同時に手に取る見知らぬ男女が、譲り合っているうちに話が弾み、近くのスケートリンクでデートをすることに。二人は別れを惜しみ、男性は持っていた 5 ドル札に、女性は持っていた本に、それぞれの連絡先を書くことにします。しかし、それをその場で交換することはせず、紙幣は店で使い、本は古本屋で売ることに。そして、いつの日か、どちらかが世に出回ってしまった紙幣や本を見つけることができたら運命の扉は開くと願い、二人はその場を去り、別れます。その後、互いに恋人がいるにもかかわらず、気になって忘れられない存在になっていくのですが、何ごともなく月日は経ちます。数年後、男性も女性もそれぞれの恋人と結婚することになりますが、どちらも結婚直前に、お互いの連絡先を書いた紙幣や本に偶然遭遇し、連絡先を見つけ出すのです。男性も女性も、連絡先を辿って相手を探し出し、遠くから結婚直前の幸せそうな姿を見てしまいます。それを見て、どちらも結局、姿を現して素直な気持ちを打ち明けるのを諦めてしまいます。しかし、その後、偶然、思い出のスケートリンクで再会し、2 人の恋はめでたく成就する。というハッピーエンドのラヴストーリーです。

この映画では、「偶然」と「運命」が対比されて出てきます。最初のデパートでの出会い、連絡先を書いた紙幣や本を見つけ出したこと、思い出の場所で再会すること、この 3度の「偶然」が重なって「必然」となり、更にそれが「運命」の確信につながっています。

みなさんは、これは 3度とも「偶然」だと思いますか?それとも、これは「偶然」ではなく「必然」で、最初からそういう「運命」だったと思いますか?

よく、こんなことってありませんか?
しばらく会っていない友達のことを、「最近会ってないけど、どうしているかなぁ?」と、ふと考えていると、タイミング良く、その友達から「ご無沙汰。最近どうしてる?」なんていうメールが来たり、「今日のお夕飯はハンバーグが食べたいなぁ」なんて思いながら家に帰ってみると、家の夕飯がハンバーグだったり。そんな偶然の一致ってよくありますよね。でもこれって、単なる「偶然」だと思いますか?

しばらく会っていない友達からタイミング良くメールが来たことは、日ごろからその友達のことを想っていて、友達もそう想ってくれているからこそ、互いに「どうしているんだろう?」と思った。そして、会わないでいる期間の感覚も同じだった。要するに、気持ちが通じ合っている友達の証です。また、家族と自分の夕食に食べたいものが一致していたことも、普段から意思の疎通が図れていて、そろそろこれが食べたいと思っているだろうなぁと家族から思いやりの気持ちを示されている証だと思うのです。「偶然」は、その一瞬だけで起こるのではなく、日ごろからの何かしらの「意識」が積み重なり、その結果、起きている現象だと思うのです。

こんなふうに、私は、「偶然」には「意識」が働いていると思っています。
根拠があって「偶然」は起きていると思っています。それは、人は、注目しているもの見たいと思っているもの、興味のあるものに、無意識のうちに神経を集中していると思うからです。要するに、自分が気付いているものは自分が見ようとしているものだけ、ということなんだと思います。逆に言うと、見たいと思っていないものや興味の無いものは、見ていても気付かない、覚えていないのだと思うのです。例えば、みなさんは、毎日乗っている電車のつり革の色や形を覚えていますか?また、頻繁に目にする 100 円玉や 10 円玉の柄を細かく言えますか?

だから、「最近、よくこの人と会うなぁ」、「なんか最近、これをよく目にするなぁ」、と思うのは、決して「偶然」なのではなく、「意識」が働いて、自分が見ようとしているもの、今の自分が必要としている人(もの)が「偶然」を装って近づいてきてくれているからなのです。とすると、最近、よく目にする人やものは、それ自身が、今の自分を象徴するようなもの、今の自分を写し出す鏡のようなものなのかもしれませんね。

私は、映画「セレンディピティ」の度重なる偶然は、「必然」だと思っています。二人の「もう一度会いたい」という意識が引き起こした「必然」だと思います。「意識」が「偶然」を重ね「必然」となり、「運命」を導いたのだと思うのです。そして、「運命」とは、最初から神様の手によって書かれた筋書き通りに行くものではなく、こんなふうに、人の「意識」が働けば、自分の手で如何様にも切り開いていくことのできるものだとも思っています。

みなさんが最近出会った人、最近よく目にするものは、もしかしたら、みなさんのこれからの人生を変える人(もの)なのかもしれません。目に見えない、自分では気付いていないオーラが引き起こした「偶然」の積み重ねかもしれません。そう考えると、今まで出会ってきた人やものも、出会うべくして出会ってきた人(もの)なのです。私は、男女の出会いのみならず、学校の友達、職場の上司・同僚・後輩など全ての人との出会いや、特定のお客様との仕事や特定の種類の仕事に恵まれるビジネス機会との出会いには、それぞれ自分の人生において意味のある出会いなのだと信じています。

「偶然」の神秘は科学的に解明できないため、「偶然」を論理的に説明できる人は誰もいません。だからこそ私は、こんな自分なりの「偶然」の解釈を信じて、「偶然」の神秘がもたらす「必然」で、自分の人生を良い方向へ導いて行きたいと思っています。また、世の成功者を見ていると、そんなちょっとした発想がツキを呼び、人生の明暗を分けているような気もします。

「Serendipity」とは、「幸せな偶然」・「思いがけない幸運」という意味です。そして、映画「セレンディピティ」は、観ていてとっても幸せな気分になれる映画です。また、運命を信じるのも、運命を切り開いて行くのも自分自身なのではないか。そう考えさせてくれる映画です。

<佐藤 彩子>