think drive (33)  『 自動車とクルマ 』

新進気鋭のモータージャーナリストで第一線の研究者として自動車業界に携わる長沼要氏が、クルマ社会の技術革新について感じること、考えることを熱い思いで書くコーナーです。

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第 33 回 『自動車とクルマ』

自動車は 19 世紀末にカールベンツとゴットリープダイムラーにより発明され、この世に誕生した。その後 20 世紀初期にヘンリーフォードによって量産方式が発明されて、大量普及してきた。日本では 1960年代のカローラ、サニーの誕生からが一般大衆への普及が始まったと考えて良いだろう。その後、急速な普及により、現在は 8,000 万台弱まで普及するに至った。

普及当初は 3C (クーラー、カー、カラーテレビ)の一員として、羨望の的としてクルマは捉えられていた。誰もがその所有を夢見て、購入に至ったら、家族の一員が如く溺愛され迎えられた。カローラと同じ誕生年である筆者は、庶民の家庭育ちであることも手伝って、クルマには単なる工業製品にはない感覚が身に付いている。その後成長とともに、クルマの趣味性への嗜好が強くなり、現在に至っている。今月は自動車という工業製品が、時代背景によってどのような受け止められ方をしてきたかを振り返り、今後どのようになっていくのかを考えてみたい。

第一期を 1960年代から 1970年代としてみる。この期は、まず所有することが国民全体の欲求だったと思う。そして、クルマにはヒエラルキーが存在し、おおよそ大きく高級なクルマがヒエラルキーの頂点にあった。多くの人がその道具性を趣味性と兼ねた接し方をしていて、特別な感情を抱いていたと思う。また、学生などの収入がない人たちにはまさに高嶺の花の存在であっただろう。

第二期を 1980年代から 1990年代としてみると、この期はまさにバブル成長期。多くの消費が景気のバロメーターと言わんばかりに、クルマも格好の消費対象となった。また、クルマのヒエラルキーは外国車を含み引き続き形成され、高級高額輸入車が飛ぶように売れた。この時代になると、少し頑張れば何らかのクルマは所有できるようになるが、クルマを趣味性として捉える向きは相変わらず、その趣味嗜好の方向性がいくつか分かれてくる。ただ所有したいもの、運転技術向上を指向するもの、ペットのように愛玩するもの、などに分かれてきた。

第三期を 2000年代とすれば、バブルが崩壊して現在に至る期間となるが、この期には、クルマに対する接し方が大きく変わったと感じられる。自動車の購買対象となる人々に、生まれた頃から自動車に接し、一般的な工業製品と同じ感覚で接してきた世代が現れ始める。この世代がまさに、”若者のクルマ離れ”と呼ばれている世代と思われる。第一期、第二期のクルマへの接し方が染み付いた我々の世代には少し残念に映るが、そもそも筆者は、第三期の接し方が標準なのではないかと思われる。人々の大半がクルマに興味があり、憧れの的としているほうが普通じゃないと感じる。ヒエラルキーを感じないのも気持ちよい。

しかし、こうなると一番困るのが、おそらく筆者のような”クルマ趣味人”である。その理由を続けるが、ここからは意識してクルマを実用上の道具と捉える場合は”自動車”と、趣味の対象と捉える場合を”クルマ”と表記させて頂く。

さて、今はまだ自動車と同じ製法で作られるクルマがある。従って、一部を除きクルマが自動車に比べ圧倒的に高価になる事はない。しかし、おそらく自動車へ要求されるスペックと、クルマへ要求されるスペックを考えると、その構成部品や作り方には大きな隔たりがあるのではないかと思う。第一期、第二期において、自動車は多くの人たちからクルマとしての捉え方もされてきたので、クルマ=自動車であった。しかし、そろそろクルマと自動車を区分すると、現在の産業構造は自動車製造に向かうのではないだろうか。安全性、環境適合性を考えても同様な方向性だろう。そうなると、異なるプロセスで製造されるクルマは、より高価になり、その圧倒的に高い動力性能は、クローズドコースでのみ楽しめ、ガソリン 1L は 500 円以上するのだろう。

すでに、フェラーリ、ロータス、ベントレーなどはクルマであり自動車ではない。日本メーカーは圧倒的に自動車製造側だが、どちらへ向かうのかは、EVの登場と普及と共に、ある時ハッキリするだろう。いずれにしても筆者のようなクルマ趣味人は、現在のような楽しみ方はいずれ難しくなることを意識するとともに、”自動車議論”を”クルマ議論”とはき違えることは避けなければならないなあと感じている。

<長沼 要>