AYAの徒然草(61)  『遠い昔の「なぜなぜ5回」精神』

仕事で成果を出すことにも自分を輝かせることにもアクティブなワーキングウーマンのオンとオフの切り替え方や日ごろ感じていることなど素直に綴って行きます。また、コンサルティング会社や総合商社での秘書業務やアシスタント業務を経て身に付けたマナー、職場での円滑なコミュニケーション方法等もお話していくコーナーです。

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第61回 『遠い昔の「なぜなぜ5回」精神』

私は、毎日 8時間の睡眠時間を取るのが理想です。8時間寝ると、その日の疲れは取れ、翌日はすっきりして元気いっぱいになれるからです。しかし、実際は、平日だとせいぜい 6時間睡眠がいいところで、寝る前にちょっとだけ読むつもりで読み始めた本がおもしろくなってのめり込んでしまうと、4~ 5時間の睡眠時間になってしまいます。そうなると、翌日は睡魔との闘いとなり、あまり大きな声では言えませんが、なんとなく仕事に身が入らない事態に陥ってしまうこともあります。さて、みなさんの睡眠時間はだいたいどれくらいでしょうか?少なくても大丈夫という方もいれば、私のようにたくさん寝ないと身が入らないという方もいらっしゃると思います。 また、みなさんは、仕事が終わってから寝るまでの時間をどのように過ごしていらっしゃいますか?夕ご飯を食べたりお風呂に入ったり、テレビを観たり、家族との団欒を楽しんだり・・・といろいろあると思います。私は欲張りなので、睡眠時間を多く取りたい上に、仕事が終わってから寝るまでの時間もたくさん欲しいと思っています。友達や同僚と会社帰りに食事をして少し遅い時間に帰宅しても、その後からでも観たい DVD があったり、読みたい本や雑誌があったり、音楽を聴きたくなったり・・・と、少しでもいいので一人で過ごす時間が欲しくなるんです。

しかし、実際のところは、遅い時間に帰宅すれば、翌日の体調を考えて一刻も早く寝ようとして、そんな優雅な自分の時間なんて取ることはなかなか難しい状況です。そうなると、以前、コラムの中でお話したことがあるように(以下リンク↓ご参照)、「私のとっておきの時間」は週末まで持ち越しとなり、平日は緊張感を保って仕事モードが続きます。

AYAの徒然草(20)  『私のとっておきの時間』

そんなことを考えていたある日、こんなことをふと思ったんです。私はやりたいことがいっぱいあり過ぎて一日 24時間じゃ足りないのだから、私だけ一日36時間位になればいいのになぁと。私の場合、人よりも一日 12時間位多ければちょうどいいかもしれない。でも、それで私だけが早く年を取るのもイヤなので、36時間過ごしても、年の取り方は一日 24時間の時と同じだけ進み、且つ、寿命も変わらないという条件付きで、私だけが一日の時間が長くなればいいのに・・・と随分と勝手なことを考えてしまいました。もし、学生時代にこれが叶っていたら、私だけ試験勉強をする時間が多く、友達との差をつけられることができて成績だってもっと良かったかもしれない、なんてことまで考えちゃいました。

つまり、私は、私が必要な時には人よりもたくさんの時間を、必要じゃない時は人よりも短い時間を与えてもらい、臨機応変に私だけの一日の時間調整ができたらいいのになぁと、叶うはずもない図々しいことを考えていたのです。時間というものに「限界」があるばっかりに、やりたいことがあってもできずにストレスが溜まったり、睡眠不足になったりして疲れが取れないんだから、その「限界」を無くすことができればいいのにと、非現実的なことをつい考えてしまうんです。
そんなことを考えていた矢先に、ある本を読み、私の考え方が間違っていることに気づいたんです。それは、吉田兼好の「徒然草」です。みなさんも中学生の時に、冒頭の部分を習いながらどんな書物なのかを学んだと思います。でも、全部の章を読んだことのある方は少ないと思います。 もちろん私もその一人で、序章の「徒然なるままに、日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆく由なし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」しか暗記しておらず、そのほかの章の内容はほとんどを知りませんでした。

しかし、「徒然草」と銘打ってこのコラムを書いている私が元祖徒然草の全文を読んだことがないなんて、あの世で吉田兼好が私の徒然ぶりを認めてくれないような気がしてきたんです。また、このコラムの原点に戻れば、「執筆すること」の真の意義を見つめ直すことができるような気がして、腰を据えてじっくりと兼好の「徒然草」を読んでみたんです。
ところで、トヨタ自動車では、なにか問題が発生した場合、それを解決するための手法がいろいろありますが、その中に「なぜなぜ 5 回」という手法がありましたよね。問題の真因をどこまでも追究するために「なぜ?」を 5 回繰り返し、執念を持って抜本的に問題を解決しようとする姿勢です。トヨタでは、それが従業員一人一人に浸透していると聞きます。そんな一人一人の心構えが、トヨタの現場力の源泉になっているんだと思います。 私は、徒然草を読んで、吉田兼好にもそんな「なぜなぜ 5 回」の精神があるように思ったんです。兼好は、闇に包まれた未知の世界、つまり科学的には説明のつかないようなことに対して「なぜなぜ?」と自問自答し続け、自分なりのものの見方で鋭く分析しています。トヨタのカイゼンは、いにしえの偉人にも備わっていた精神だったんですね。

そんな「なぜなぜ?」の結果、徒然草の根底には「無常観」の思想が流れています。兼好は、「世の中の全てのことは、人力ではどうにもできない目に見えない力によって支配されている」と説いているんです。つまり、人の「生」も人の「世」もはかないもので、だからこそ、生きる価値があると言うのです。はかないからこそ、その時その時を大切に生きるべきだと。 人生とは長いようで短いもの。自分がやりたいことが明確でそれに邁進している人にとっては短いもので、やるべきことを見つけられない人にとっては長いと感じる人生なんだそうです。人生先が長いんだからとのんきに考えて、なすべきことを怠り、目の前の雑務に追われて月日を送ってしまって何一つ達成できないまま年を重ねてしまうのは良くないと。
そして、ひとことで「人生は長いから」とは言うけれど、その人生は、今この瞬間にも通り過ぎていく短い時間の積み重ねであり、特別な時間の積み重ねではない。日常の短い時間の積み重ねだからこそ、「時間」というものの本当の価値を考え直すべきであると。
また、兼好は、「終わり」を嫌い、それが故に終わりを意味する「完全」も、実は良くないことだと説いています。ものごとは、「不完全」な方がむしろいいと。やり残していることがあるくらいの方がいいと言うんです。「恋」の話もありました。「恋」とは、相思相愛になった時点で「終わり」を示すと。「恋」が「恋」であり続けるためには、恋を実らせるよりも、むしろ失恋や悲恋の方がいいと言うんです。
世の中で私だけが一日 24時間じゃなくて好きなだけ時間があって、好きなだけ睡眠を取り、好きなだけやりたいことをやりたいなんていう発想は、人間の力ではどうにもならない不可抗力の原理に逆らうことなく生きていく精神、つまり「無常観」からはだいぶ逸脱していますよね。それよりも、もっと建設的に、限界がある時間の中で自分には何ができるのか、また、自分にとって今、何をすることが一番大事なのか、ということを考えるべきだったんだなぁと少し反省しました。

そして、仕事も恋も、結果を恐れずにどんどんチャレンジした方が良いという勇気ももらったような気がします。「完全」を狙うからいろんなプレッシャーを感じてしまうのであって、失敗したっていいんですよね?兼好流に考えて「完全」は「終わり」を意味するなら、「不完全」を狙ってもいいんです。と思うと、気持ちがとても楽になったような気がします。

今から約 700年も前に書かれた随筆に、こんなふうに現代の私たちの生活にも参考になるような思想が書かれているなんて、なんだかとても不思議な気持ちになります。歴史を紐解いて行くと遠い昔の事実をたどれるだけではなく、その時代の息吹も感じられます。そしてそれが現代の私たちに生きるヒントも与えてくれるんですから、たまには遠い昔の書物に触れてみるのも良いかもしれません。私たちの日々の生活の中では、新しいことばかりが注目されがちですが、でも実は「温故知新」という言葉がある通り、古きをたずねて新しきを知ることも大切なことなんですね。 さて、今日は 4月 1日。新年度の始まりです。新入社員が入社し、社内には新しい風が吹きますよね。私も、その風に吹かれながら、改めて「自分が今やるべきこと」を考えて、それに向けて「限りある時間」を大切に使うようにしたいなぁと思います。また、新しい風と共に気分をリフレッシュにさせて無垢な気持ちも取り戻したいです。そして、その無垢な気持ちと、兼好と同じ「なぜなぜ 5 回」精神で、これからも素朴な疑問を私なりに考えて「平成の徒然草」を目指して行きたいです。

<佐藤 彩子>